小屋の旅 046 (自販機と小屋)

f:id:koya-tabi:20220120153006j:plain

 

46.自販機と小屋

 鉄道の駅構内や病院、劇場などでよく見かける「売店」。これも小屋の一種で、なかでもキヨスクはその代表格といえる存在です。写真は群馬県「道の駅八ッ場ふるさと館」に併設されたファーストフード店ですが、建設の是非でもめたダムはいまや立派な観光名所にもなっていて、写真は数年前の秋に撮ったものです。道の駅には、ダム資料館、農産物直売所、レストランなどが入った本館と足湯、それに170台収容の駐車場が整備されています。その道の駅を構成するひとつとして、敷地の片隅にファーストフードの出店があります。まわりが大自然に囲まれているうえ、コンビニや川原湯温泉なども控えており、旅人の車中泊にはもってこいの道の駅です。

 

 売店の建物は屋根が後方に傾いた片流れの形式で、小さいにかかわらず正面から見ると迫力があります。その店のファサードにメニューが写真とともに一覧で並び、建物とメニュー表が合体した、なんとも合理的な姿をしています。これだけメニューがわかりやすく、大きく表示されていると、窓口で値段や内容をいちいちスタッフに確認しなくてもよく、「アイスクリーム2個」とか「ウィンナー4個」といった調子で、一言二言の会話で売買が成り立ち、駅構内の立ち食いうどんの店と似たスタイルです。ファーストフード店の隣にガーデンパラソルとテーブルが置かれ、そこでゆっくりと食べることもできますが、これなどもプラットホームの立ち食いうどんの店のまわりにそれとなく配置された長イスと符合します。

 

 ただ、列車の発車時刻を頭の隅に置きながら素早く食べる立ち食いうどんは、なによりもメニューの選択で迷ったり、勘定でもたつくタイムロスを避けた事情があることから、売店側としては、なにを食べさせる店であるかの識別に次いで重要になるのがメニューと料金で、入口正面にそのふたつを大きく掲示するのは理に適っています。一方、八ッ場ダムの道の駅の場合、休日に家族で利用するなど、いそいで食べる理由がどこにもなく、立ち食いうどんとはかなり立ち位置がちがいます。メニュー表が店の顔としてファサードを飾るというのは、なにかほかに理由があるのかもしれませんが、それにしても見れば見るほどおもしろい風景に思えてきたりします。

 

 看板といえば、珍妙で奇抜な大阪・道頓堀の立体看板を思い浮かびますが、これが界隈に祭り空間をつくりあげています。八ッ場ダムの“看板売店”はそのような遊びの要素をすべてそぎ落としたうえで、合理的なものを大胆に付け加えたこれまた特別な表情をしています。「売店」を突き詰めていくと、見えてくるのは路上にモノを並べて売り買いする露店で、高山や輪島の朝市、さらには「男はつらいよ」の寅さんの世界となって、売るほうも買う側も、多少はいかがわしいことはわかっていながら売り買いを楽しむ場です。「遊び」の対義語は「労働」「仕事」「勉強」だそうですが、リフレッシュを図るためには、遊びのムダな要素があったほうがよく、休日にも合います。このダム湖売店はといえば、そのような遊びの方向ではなく、めざしているのは自動販売機の世界のようです。自販機になりたがっている売店、といったところでしょうか。写真にはひとがまったく写っていませんが、実際は窓口に順番を待つ列ができて大変な盛況、にぎわいだったことをおぼえています。

小屋の旅 045(能登のバス停)

f:id:koya-tabi:20210922203827j:plain

 

45.能登のバス停
 能登半島の海沿いのバス停ですが、これも小屋のひとつだろうと思います。築後まだ日が浅く、規模は間口2m、奥行き1.5mほどで、室内に4脚のイスが肩を寄せ合って並ぶ小さな建物です。柱などのフレーム材は、なぜか非常に目立つダークグレーのアルミが使われています。鉄のような色調ですが、おそらくアルミの素材だと思います。ガードレールや背後の鉄の垣根などの色合いをみると、それらは風景のじゃまにならないようにとの配慮が、なんとなく見て取れます。ところが、バス停の建物はそのようなこころづかいを見事にぶち壊し、おだやかな七尾湾に一石を投じるかのような、強い存在感を示しています。

 

 このバス停、「全面ガラス張りのショーケース」と表現しても、けっしてまちがいではありません。ただ、一般的なガラスケースのイメージとはいささか異なり、どうみても骨組みだけが際立つ鉄の箱です。なぜこのような色使い、骨組みを強調したデザインになったのかと思ったりもします。これがこのバス停の特徴のひとつですが、実はバス停があるということは、それを利用する人がいて、付近にまとまった住宅が存在します。能登の黒い屋根瓦に黒っぽい板壁の家々は、どちらかというと重々しい集落風景です。その伝統的な民家の横にこのバス停を置いてみると、なるほど違和感なく溶け込む感じがします。写真はそのような家々を省略し、バス停だけを抜け出したことから起こった不自然さのようです。また、このフレームを強調した造りからは、北陸の民家の柱を連想します。柱を意匠として見せる真壁工法では、昔から白い無垢材ではなく、湿気対策などから柱に漆などの塗料を塗った茶褐色の柱を使うのが一般的です。そのような伝統の下敷きがあって、枠組みだけがやたらと目立つバス停が生まれたのかもしれません。

 

 それでもやっぱり気になるバス停です。ネットでバス停を検索すると、全国各地のバス停がたくさん出てきます。それらとこのバス停を比較すると、たしかに少し異色の部類に入るということがよく理解できます。何がそんなにちがうのか。一般にバス停の構造は、もっと開放的な造りのものが多く、どちらかというと鉄道駅のプラットホームに近いもので、支柱に屋根だけがのっかったバス停も珍しくありません。風よけとして周囲に壁を廻らしても、人が出入りする正面は開けっ放しのものがほとんどです。最近のバス停はなおのことシンプルな造りになっています。そんななかで、この能登のバス停は、ガラスで覆われた完全な密閉空間です。頑固というか、時代の流れに逆らった意固地なところは能登の気質といえないこともなく、その意味では伝統に根ざした能登らしいバス停だといった解釈も成り立ちます。

 

 伝統が息づくガラスのバス停ですが、どれだけ見ても、窓らしいものがどこにもありません。入口の引き戸が唯一の開口部のようですが、背後の海側にも左右の側壁ガラスにも開け閉めできるような構造は見当たりません。これでは冬はいいとしても、夏の室内はサウナ状態で、椅子に座ってバスの到着を待っていると、やがてやって来るのはバスではなく、熱中症だったりしないかと、本気で心配になります。北陸の夏は予想以上に蒸し暑く、7、8月の日照時間など、太平洋側の東京よりも多いのが現実です。窓のひとつもあれば救われるはずですが、おまけにといってはなんですが、太陽の日差しをさえぎる日除けもなく、これでは猛暑からの逃げ場がありません。どうしても夏の利用が気になりますが、やはり冬の対策のほうが、より重要なのか、あるいは、過疎地ゆえ、バスの本数が少なく、利用のほとんどが涼しい朝に限られることから、暑さ対策そのものがいらないのかもしれません。

小屋の旅 044(奥飛騨の市場)

f:id:koya-tabi:20210823151622j:plain

44.奥飛騨の市場
 「平湯 農家直販市場 かかし庵」の看板を掲げている特産品売場の小屋ですが、奥飛騨温泉郷平湯温泉にあります。ここはかつての上宝村で、現在は高山市と合併してその一部になっています。奥飛騨温泉郷はほかにも福地、新穂高、新平湯の温泉地が点在する秘湯として人気があります。なかでも平湯は、松本や高山市街に抜ける要所にもなっていて、標高が1250m、山岳地の温泉郷として知られています。日本アルプス黎明期のウォルター・ウェストンなども入浴しているはずで、昔から上高地や乗鞍への中継点になっています。夏の今ごろは早朝から平湯バスターミナルは大勢で賑わっているはずですが、コロナ禍の今年はどうでしょうか。特産品売場はそんな平湯の温泉施設「ひらゆの森」の駐車場の一角にあります。

 

 「かかし庵」の“庵”とは、「草木や竹などを材料としてつくった質素な小屋」だそうで、それに「山田のなかの一本足のかかし、天気のよいのにみの笠着けて」の童謡の“かかし”をくっつけた「かかし庵」ですが、これがまさにこの地にぴったりです。また、直売所の建物は背後の森の茂みから顔をのぞかせていますが、この自然との共生を感じさせる佇まいは他の直売所にはない魅力で、いかにも山国飛騨らしさしいラフなつくりの小屋です。直売所ではこのあたりで採れる農産品などを販売していますが、そのようなものにあまり関心がなくても、ちょっとのぞいてみようかと、自然と足が向いてしまう、そんな店構え産直市場です。「小屋の旅29」で飛騨の「板蔵」を取り上げていますが、同じ飛騨の小屋でも、それとは真逆のような感じがします。

 

 そこで小屋を見ると、建物があきらかに自家製です。並べている商品もこれまた自家製なので、直販市場にこれほどふさわしい建物はありません。しかも、使われている材料は、屋根の一部のポリカーポネート以外は、これまたすべて地元で手に入るものばかりです。入口正面の柱などは特に傑作で、どうみても近くの川に流れ着いた流木を拾ってきて、そのまま立てただけのものです。まるごと天然の素材といったところで、飛騨の匠の技を加えていない自然そのままです。美しい柱ではなく、切って割って薪にしかならない廃材を、店のもっとも目立つ入口正面柱に堂々と使っているところがかっこいいというか、このような行為はまさに現代アートのようです。

 

 この小屋でもうひとつ目を引くのは、いまではすっかり廃れた昔ながらの屋根で、それこそ高山市街の古民家を集めた「飛騨の里」へでも行かないと見ることができない「クレ葺き」と呼ばれる板屋根です。薄く剥いだ板で葺き、その板が風で飛ばないように重石をのせたもので、飛騨でも雪の少ない地方の伝統的な屋根工法です。合掌造りとは対照的に勾配がゆるく、軽くてびやかなイメージを喚起しますが、このかかし庵ではそれがラフにつくられたところが、またみていて気持ちがいいというか、川から拾ってきた流木をそのまま使った大黒柱との相性も抜群。同じ小屋でも前回の「小屋の旅43 浜茶屋」の几帳面さとは好対照です。その屋根には草などが生えたりしていますが、お客さんである人だけではなく、野鳥や昆虫、植物といった多くの命を呼び寄せ、育てる屋根のようでもあります。

 

小屋の旅 043 (浜茶屋)

f:id:koya-tabi:20210812102949j:plain

43.浜茶屋
 海水浴が大衆のレジャーになったのは昭和も戦後のことだと思います。当時は子供がやたら多い時代でしたが、あまり娯楽もなく、夏の遊びといえば海水浴ぐらいでした。その海水浴場の仮設の休憩所を「海の家」、あるいは「浜茶屋」と呼んでいますが、これは地方によって呼び名が異なるようです。浜茶屋は、江戸時代の旅の休憩所“茶屋”に倣ったようで、東海道五十三次などの浮世絵には、さまざまな茶屋が描かれています。そんな浜茶屋、ここでは屋号が「みゆき」と、昭和の響きがアリアリです。それに加えて、屋根上の看板の字体なども昭和そのもので、懐かしさのあまりに思わず見とれてしまうほどです。昭和から令和に移民した人間が何十年ぶりかに帰郷した感じでしょうか。糸魚川は藤崎海水浴場の浜茶屋ですが、海が遠浅で水もきれいなことから、海のない信州から訪れる人が昔から多いところだそうです。

 

 浜茶屋「みゆき」は、コンパネを敷き詰めた床にゴザを敷き、天井はなくて切妻屋根は波トタン、外壁はスノコ張りといった、これ以上の簡略化が望めないほどシンプルな建物です。昭和に栄えた典型的な浜茶屋タイプだと思いますが、それも2棟連結です。右側の棟はあとから増築したようで、海水浴客でにぎわった時代を彷彿とさせてくれます。シーズンが終わると解体する仮設の建物ですが、屋根やスノコ壁の張りかたなどをみると、手を抜かずにていねいに造られています。少子高齢化で海水浴客そのものが減少し、生活スタイルも変化している時代にあって、このような昭和の夏の思い出をとどめる建物は貴重だと思いますが、看板の「みゆき」も含めて、登録有形文化財にでもして残してほしいものです。

 

 この日は朝の8時過ぎと、海水浴にはまだ早い時間帯のために、浜にはひとがだれもいなく、なんとも静かな光景です。軽トラがとまっているあたりが、「浜茶屋みゆき」の駐車スペースになっているのでしょう。そんな浜茶屋の室内はワンフロアーが基本で、仕切り壁などはもちろんなく、長テーブルが整然と並んだ、ただ広いだけの空間です。そしてゴザが敷かれた床に直接尻をつけて座る床座スタイルでくつろぎます。料理のメニューは手のかからない焼きそば、カレー、ラーメン、うどん、カツ丼、かき氷といったところが定番です。「みゆき」は調理場が建物の端っこのほうに置かれ、2棟連結された極端に細長いフロアだけに、料理を運ぶのが少々大変そうです。そんな忙しくなる1日を前にして、駐車場の受付でもしているのでしょうか、浜茶屋の裏手で椅子に座って所在なげなおばさんの姿があり、その横にモップらしきものが立て掛けられています。なんとも昭和らしい夏の風景というか、きょうも暑くなりそうです。

 

 「御休憩 お食事 浜茶屋 みゆき」という屋根上の看板や、「シャワー施設(温水) 更衣室完備」、それにもうひとつ軒下に「浜茶屋をご利用されない方の駐車はご遠慮ください」と、遠慮がちな看板もかすかに見えます。この大きな建物に看板らしいものはたった3箇所だけで、しかも、伝えたいことだけを言葉少なに示しています。このへんが無口といわれる新潟気質なのかもしれません。不必要であっても看板類を増やしたり、派手なのぼりをあっちこっちに立て、音楽であおり立てるなど、客商売なので、もっとにぎやかに振舞ってもよさそうにと思ったりもします。ここはそのような“お上手”はありませんが、何はともあれ、真っ昼間からアルコールを堂々と飲む場所として、浜茶屋ほどふさわしいところはそんなにありません。刻々と移り変わる海や空を眺めながら飲む生ビールは、やはりうまいでしょうね。

小屋の旅 042(旅する小屋)

f:id:koya-tabi:20210106164530p:plain

42.旅する小屋

 キャンプ場にトレーラーだけを置き、牽引してきたクルマで周辺の観光にでも出かけているのでしょうか。キャンピングカーでも、旅先で自由に動き回れるのが、このトラベルトレーラーのいいところです。まさに「動く住まい」そのもので、能登の道の駅でも、犬が大型トレーラーにつながれて留守番をしているところを見かけたことがあります。そのトレーラーに寄っていくと、“近寄るな”とばかりに吠え、まじめに犬がご主人のために尽くしていましたが、このような「動く住まい」をベースキャンプにした旅は、最高の贅沢ではないでしょうか。写真のトレーラーは、飛騨のキャンプ場の入り口付近に置かれたものです。大自然の気配がかろうじてトレーラーまで届いているといった森の場末にあたるところで、それでも森のなかでの休息の様子がそれとなく伝わってきて、眺めているだけで、こちらまでがいい旅気分になります。 

 

 キャンピングカーには、ワゴンやトラックなどを改造した自走式と、コンテナーをクルマで牽引するトレーラーの二つのタイプがあります。日本RV協会の調査では、前者が圧倒的に多く、写真のようなトラベルトレーラーは少数派とのことです。重量が750kg以下の小型トレーラーは、牽引免許がなくても引くことができますが、S字カーブやバックをさせる際など、牽引車ならではの運転の難しさがあるようです。ただ、それも「30分も練習すればOK」といったコメントもネットでみられます。トレーラーでもうひとつ困るのは駐車場で、牽引車+トレーラーの2台分のスペースがないと利用できません。また、日本でこのタイプが普及しないのは坂道が多いからといった指摘もあります。たしかにトレーラーを牽引して坂道を下るのは、慣れるまではかなり神経をつかうと思います。このような問題さえクリアできれば、エンジンや運転席などが付いていないだけに、コストパフォーマンスが高く、同じ価格帯なら自走式の3倍の車室空間を確保できるといわれ、欧米のキャンピングカーはむしろトレーラーのほうが主流だそうです。

 

 旅行やキャンプなど、キャンピングカーはレジャー用のクルマといった印象があります。実際に大半はそのような使われ方をしているのでしょう。ところがトレーラータイプは無理としても、バンやトラックなどを改装した自走式のキャンピングカーは、通勤や買い物の足としても十分に使えるといった意見があります。そういわれてみれば、改装しても車高は若干高くなるかもしれませんが、車幅や運転の仕方などは元のクルマと変わらないわけです。キャンピングカーをレジャー専用車と考える必要はどこにもなく、むしろこのようなクルマを普段使いにしてこそ楽しく、新しい発見や体験が待っているというものです。移動と宿泊が自由にできて、平々凡々な日常生活のなかに遊牧の民、放浪の旅人といったロマンを持ち込んでくれます。クルマを持つのなら、世間一般にあてがわれたといってはなんですが、型にはまったミニバンやSUVよりも、キャンピングカーのほうが、暮らしを変えてくれる力があるように思います。 

 

 朝日新聞のあるアンケートでは、暮らしの中で「防災対策をしている」ひとが77%という、ちょっと驚く高い結果が出ています。たしかに台風や地震、土砂崩れ、洪水など、いまや日本列島は災害が多発し、どこにいても安心ができません。最近では、そんな万一の際に身を守るシェルター、避難所としてキャンピングカーが脚光をあびています。「動く避難所」です。また、写真のトレーラータイプなどは、自走式とはちがった発展も考えられます。家の駐車場や前庭などにトレーラーだけを止め置き、その車室空間を家の空間の一部として取り入れて住居にするもので、家との融合です。本体がクルマメーカーのトヨタホームなどは、住宅の間取りにトレーラーを組み込んだハウス+キャンピングカー住宅などを販売するなどしてもおもしろいと思います。住宅の一部を切り離すとトレーラーになって旅に出かけ、帰ったらまた住まいの一部として使う、そして災害時に救急の避難所になるといった住宅です。国土強靭策を掲げる国も、このような住宅に手厚い補助金を出して後押しをすれば、一般にも広く普及し、そうなるとわが国の旅行の形態、さらにはライフスタイル、国民性までもが大きく変わってくる可能性が考えられます。まさに、結構毛だらけ、猫灰だらけといったところではないでしょうか。

小屋の旅 041(晩秋の小屋)

f:id:koya-tabi:20201210174439p:plain 

晩秋の小屋

 40回で途絶えて久しい「小屋の旅」。あれから数年が経過し、この間、世の中の小屋への関心はむしろ高まっているかのようにもみえます。ただ、その人気の小屋は、倉庫や物置、作業小屋といった一般によく目にするものではなく、最小の居住スペースとしての小屋、タイニーハウスやスモールハウスと呼ばれているものです。そのような小さな建物にはこれといった定義はなく、「床面積がおおむね20㎡以内」、短期間すごす「小さな家」を指すようです。そのほとんどが住宅基準法の適用外になるために、だれでもどこでも自由に造られます。デザインも作業小屋のような自然発生的なデザインではなく、見た目や体裁も住み心地のひとつなので、人為的に創意工夫が施されたものが多いのはいうまでもありません。写真の小さな小屋は、まさにそのような週末住宅としてのタイニーハウスのようで、季節は紅葉も終わりに近い11月ごろ、新潟で見かけたものです。

 

 小屋は、どちらかというと波トタンを使った手作りのもの、朽ちかけたヨレヨレのものなど、その土地に同化しきったものが多かったわけです。そんななかで、この写真の小屋を目にしたときは「おやっ」と、新鮮な印象を受けたものです。作業小屋や物置にしては窓の外にウッドデッキがあるなど、どう考えてもひとが住むように造られています。だが、普通の住宅にしてはあきらかに小さすぎで、家というには不自然です。全体的にこぎれいな洋風スタイル、無駄のないシンプルな造り、キットを組み上げたプラモデル感覚、おもちゃっぽくて暮らしを離れた非日常の空気も持ち合わせるなど、やはりセカンドハウスといったところです。

 

 ケビンやバンガローといったものを、本来あるべきキャンプ場などからここへ一棟だけ運んできたような感じですが、キャンプ場ではなく、こうして現実の生活空間のなかで見てもなかなかいい雰囲気です。外観の色使いなどはむしろ控えめの落ち着いたトーンに統一されていますが、それがかえってざわついた森の紅葉に引き立てられ、くっきり浮き上がってみえます。集落から離れたところにぽつんと一棟だけ置かれていますが、おそらく背後の里山とも関係があるのでしょう。そうでもなければ、このようなところにこのような小さな小屋を建てることはないはずです。休日の山仕事、菜園、家族といったことを、あれこれイメージできる反面、不思議とそのような楽しい活動の様子、生活のノイズのようなものが聞こえてきません。どこかストイックなところがあります。
 


 セカンドハウスなのに、遊びのような無駄なものがない、笑いの要素が皆無というのはやはり気になるところです。周囲とのちょっとした緊張関係、きっと、この建物の置かれた環境がそうさせているのでしょう。村境に建っていますが、その村へ通じる幹線道路沿いにあってけっこう衆目の集まる場所です。外からやってきたセカンドハウスとしては、常に襟を正してコミュニティの空気を乱さないように気を使っている、そんな背景があるのかもしれません。小屋に薪ストーブ用煙突の一本もあると親しみやすさが出てきますが、ただ、それでは普通のありふれた小屋になってしまい、いささかおもしろくありません。ただ、この小屋に煙突が見られないのは、きっと豪雪地帯なので冬は小屋を閉鎖して暖房設備そのものが必要ないのでしょう。まわりとの親和性に一定の距離をとりながら地域に溶け込んでいる様子が感じられます。窓には雪の備えと思われる桟を打ち付けてあるところをみると、冬支度もすでに終えているようです。これから本格的な雪のシーズンを迎える晩秋の小屋といったところでしょうか。

 

小屋の旅 040(霧と小屋)

f:id:koya-tabi:20180423163609j:plain

 

40.霧と小屋
 霧のなかに家具のソファや雑草、青い屋根の小屋、そのうしろに軽トラに野焼きの白い煙り、シートをかぶったトラクター、山裾には大小ふたつの小屋に満開の桜がぼんやりと浮かんでいます。さらに墓石もあっちこっちに点在するなど、とりとめのない、少し幻覚をおこしたようなありふれた風景です。霧が晴れると視界良好、我にもどって「まじかよ!?」となるわけで、白い霧のなかに見え隠れすることで救われる世界があるとすれば、ここもまたそのひとつだといえます。幻想につつまれて平和が保たれているわけで、近年、社会のいたるところで「見える化」が進み、安全、安心はけっこうなのですが、気がつけば監視社会へまっしぐらの予感もただよいはじめ、おのずと閉塞した気持ちになったりすることがあります。そんなときは、この雑草をバックにしたソファに休んではいかがでしょうか。ゆったりと腰を落とすと、前方に日本海が広がるはずです。

 

 まだ枯れ草が残り、完全に目覚めていない春の里で、小屋は霧におおわれていささか眠そうですが、三棟の小屋のうち、いちばん手前の一棟と後方左の一棟は、けっこう大きなもので、このへんでは“納屋”と呼ばれているものです。手前の小屋にはシャッターと窓が設けてあり、屋根にありふれたネズミ色や焦げ茶ではなく、ブルーのトタンを使うなど、意匠的にメリハリをつけ、そこそこ頑張って建てられた小屋です。また、山裾の小屋は薄らとしか確認できませんが、こちらは2階建ての伝統的な造りで、手前のものよりボリュームもあります。昭和を思い出させる懐かしい納屋といったところでしょうか。

 

 小屋の多くは、小さく、かつ使用目的がはっきりとしています。これに対して当地の納屋は、農業や漁業、大工といった生業における作業場としての役割も担っているなど、多様な使い方を想定して造られています。そのために自宅の敷地に住居、蔵、納屋を3点セットで配置するのが基本です。この場合の“蔵”というのは蓄財のシンボルではなく、生業の材料や商品を保管する倉庫の機能をはたすものです。本来は家に付属する納屋が棚田に一棟だけぽつんと存在しているのは、家の敷地が狭くて建てられず、やむをえずここにもってきたからなのでしょう。このへんの集落は、能登半島でも海沿いの半農半漁を生業としてきた村で、家の前は豊穣とまではいかないまでも小魚や海草類に不自由のない海があって、その海岸の高台にこの棚田が広がり、里山へとつながっています。自給自足には理想的なところです。

 

 手前のソファは、リビングやロビーなど室内で使われる家具です。それが野外の、しかも畑のなかで雑草や小屋、墓などと一緒に置かれています。季節は4月なので、野菜作りの支柱などもたくさん用意されていますが、肝心のご主人の姿はどこにも見当たりません。納屋が自宅敷地を離れてここに来ていますが、ソファもまた、家のリビングから畑に引っ越してきたわけです。野良仕事の疲れをいやす腰掛けぐらいなら、簡単なイスやベンチ、ビールケースなどでも間に合いそうなものなのに、よくこんな場ちがいなソファを畑までもってくるというばかばかしい勇気を奮い立たせたものです。これだけ大きいと、ひとりでの運搬は難しく、家族に頼んでも「あほらしい!」と相手にされないのがオチで、友だちにでも助けてもらったのでしょうか、運んでいる様子なども見てみたかったものです。一般にソファにとって畑は想定外の設置場所であるのは事実ですが、よく考えると、この主人の場合、畑仕事で疲れたからだをその場で癒せるソファは、遠く離れた家よりも、疲れの発生源の近くである畑で使うほうが理にかなっているところもあり、まんざらまちがった光景というわけではありません。で、ソファの使い心地はといえば、こればかりは実際に腰掛けてみないとわかりません。おそらくリビングのソファが家の窮屈な風呂だとすれば、畑でのソファは野趣あふれる露天風呂といったところでしょうか。それぐらいの差はあるかと思います。