小屋の旅 026 (おしゃべりな小屋)

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26.おしゃべりな小屋

 長野県の上諏訪温泉にあったストリップ劇場「諏訪フランス座」の建物です。何年か前の写真ですが、当時は肝心のストリップ興行はすでに廃業、「ヌード劇場」という大きな看板がそのまま残されたビルの一画には、飲食店が一軒だけ営業をしていて、おやっと思ったことを記憶しています。このお店は、ヌード劇場が健在のころからここにあったようで、いまとなってはストリップ劇場もさることながら、むしろこの飲食店のほうに興味がそそられたりします。

 ストリップ劇場というのは立地条件を選ぶ業種ではないかと思います。お客さんが泊まっている旅館から劇場までの道のり、ルートがきわめて大切で、宿の玄関をでると、にぎやかな本通りから少し意味ありげな裏通りを経て、ストリップ劇場に至る道筋をぶらぶら歩くプロセスです。これによって脳がうまいぐあいにもみほぐされ、期待感がいつのまにか甘美な高揚感へと変わっていったところに、ストリップ劇場のけばけばしい看板が出迎えてくれ、ハリボテの劇場は“異界に輝く竜宮城”に見えてくる、といった幻覚が生成される場所です。そのためには街のなかでもストリップ劇場にふさわしい場所というものがあり、“場末”などはそのひとつではないでしょうか。

 ところが諏訪のフランス座がある場所はというと、どうも様子がまともすぎる感じがします。湖岸通りという温泉街でもけっこう大きな幹線道路沿いの明るい角地にあって、ヌード劇場というよりも、コンビニや郵便局、銀行といった業種のほうが向いているようで、劇場主はストリップを「公共性の高い業態」と位置づけていたのではないか、と思われるほどです。そこで地図で温泉街での位置関係をたしかめてみると、南北に細長くのびた温泉街のほぼ真ん中あたりの東のはずれ、旅館やホテルが並ぶメインの湖岸側ではなく、いわばその裏側に位置し、縦に長くのびた温泉街であるにもかかわらず、どの旅館からも散歩がてらに訪ねることができます。また、劇場のすぐ裏を通る中央本線と国道をはさんで住宅街とも隣接し、地元住民の隠れファンにも対応しているなど、なんとも絶妙な場所を選んでいます。温泉街と住宅街の境ということは、場末といえないこともないわけで、かなり用意周到、気配りのしっかりしたヌード劇場だったようです。この業種、目配りが利かないと、それこそすぐに“御用”となるので、そのようなノウハウがここにも生かされているのかもしれません。

 それと、もうひとつおやっと思ったのが、ストリップ劇場の建物にしては全体的に白っぽく、こぎれいなことで、裏を返せば、もう血が通っていないわけです。完全に生気が抜け、昔のままの建物でも別物に変わり果てた哀愁と、それでいてどこかほっとするような空気感が入り交じった建物だったことを覚えています。そして、なによりも大きな謎は屋上に設置されたラッパ型の拡声器です。ストリップ劇場に選挙カーで使うような道具がはたして必要だったのか、拡声器の先からどのような文言やミュージックが流れたのか、大変に興味がありますが、それにしても、このような大胆な宣伝活動がよく許されたものだというのが率直な実感です。昭和という時代のおおらかさなのでしょうか、2台の拡声器の方角を見ると、たしかに温泉街をくまなくカバーするように向けられています。

小屋の旅 025 (海の小屋)

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 25.海の小屋

 能登半島の海は、日本海の大海原に面した気性の激しい「外浦」(門前、輪島など)と、波おだやかな富山湾側の「内浦」(七尾、穴水など)とに大別され、ふたつの相反する顔をもっています。実際に門前や輪島あたりの海では、身の危険を感じるような凄まじい荒れようなのに、そこからクルマで30分ほどの穴水の海は、今までの恐怖的な海はなんだったのかと思うほど、おだやかな凪の世界が広がっていたりします。この怪奇現象にも近い極端な落差を観光資源に活用すれば、ずいぶんとおもしろいと思いますが、写真はその静寂な内浦の海のなかに建てられた船の小屋です。

 また、能登といえば祭りと伝統芸能が自慢の土地柄で、荒れ狂う外浦の荒波をその芸能にたとえると、おそらく鬼面をつけて狂ったように太鼓を打ち鳴らす輪島の「御陣乗太鼓」だろうと思います。男鹿のナマハゲに太鼓を持たせたようないささか騒々しいものですが、権力におびえながら威嚇するといった太鼓の演技が観光客に好評で、能登の大名物になっています。その恐ろしげな面をはずすと、そこから普通の漁師の顔がでてきたりするわけで、さしずめ波静かな内浦の海は、鬼面をとったおじさんの表情といったところでしょうか。

 写真の小屋は、ある意味で内浦の海を象徴する建物のひとつだと思います。というのは、湖沼や川は別として、海のなかにこのようにDIYで建物を組み立て、船が係留できる小屋というのは、ありそうでない光景ではないでしょうか。潮位の差が大きい太平洋側などではなかなか難しいでしょうし、同じ能登半島でも、波の荒い外浦の海では、建てても1日ともたないでしょう。年中海がおだやかで、潮位の変化が少ない能登の内浦だからこそ、可能になった小屋というわけで、国内でも特徴のある小屋のひとつだろうと思います。

 クルマのガレージにもこのような屋根だけのものがありますが、この小屋の場合は船本体と、その船に積んである漁具などを雨雪から守るための施設のようです。地元のひとの話では、もともとカキの養殖に使っていたとのことです。大胆にも手作りで海にこのようなものを建てるなど、最近では考えられませんが、皮肉なことに、これからの時代はむしろこのようなものにこそ、価値がでてきたりします。川岸に仮設の座敷を設けて料理を提供する「川床」というのが、京都の鴨川などにあります。能登の内浦の海でも、写真の小屋をお手本に、“海床”で観光客を呼び込めば、能登名物になっておおいににぎわうはずです。内浦は、夏はもちろんのこと、雪がちらほらと降る冬の季節でも、情緒ある海床でやっていけますし、その席に余興として「御陣乗太鼓」のライブでもやれば、これはもう鬼に金棒というやつで、能登半島最強の観光スポットが誕生、というのは、“とらぬ狸の”なんとやら、でしょうか。

小屋の旅 024 (悟りと小屋)

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24.悟りと小屋

 長野県の松川渓谷は紅葉がすばらしいと聞いていましたが、実際にいってみると、なるほど鮮やかというか、ひと味ちがったところがあります。実家が志賀高原だというかたによると、紅葉は志賀より松川渓谷のほうが美しいような気がするそうで、地元のひとの話などでは、色の鮮やかさは木々の樹種が多いからではないかとのことです。いろんな色が混ざり合った多様性による絶景なのでしょうか、もう、紅葉も終わりという時期に訪れたのに、なお鮮烈な印象が残るその松山渓谷の麓で見つけた小屋です。これもたいそう大げさな写真ではありますが。

 山の紅葉が谷になだれ込むようにかけおり、そこに一棟の小屋がなにくわぬ顔をしてたたずむ姿は、「あなた、うしろの山に、どつかれそうですよ!」、「それがどうかいたしましたか?」といった、どこかひとごとのような悟りきった小屋です。この小屋の手前には少しばかりの田んぼが広がっていますが、あたりは水田のほかに民家などはそれほどありません。春や夏などのシーズンにもここを訪れたりしますが、そのときは当然のことながら紅葉はまだですから、背後の山の存在はまったく意識外で目にはいってきません。ただ、田の稲穂が色づくと、そちらと小屋がとてもいい雰囲気になって、これは秋とはまたちがった風景をつくりだしています。

 小屋そのものは、建てるのにそれほど“頑張りました”という、気負ったところがなく、屋根と外壁にトタンを張って、ハイ!完成といった類いです。しかし、その肩の力を抜いたところが、襲いかかる山の紅葉ともうまく折りあって、ぎくしゃくしたところがありません。土木建築に経験のあるひとが、手元にあるハザギやトタンの廃材などを使って巧みに組み立てた小屋のようで、手際のよさのようなものを感じます。素っ気のないつくりですが、ただ、それだけで終わっていないところが、この小屋のいいところのようです。

 あとづけの妙とでもいうのか、小屋の使いかたがたいへんに上手なようで、建物の左側にベニヤ板でフタをし、そこに無造作に何枚かの板きれを立て掛け、右側にはなにやら丸太で軒を支えています。これらが単調なデザインになりやすい小屋に変化を与え、くわえて色あせたブルーのトタンの色合いなど、よくぞこのような調子になったものだといいたいほどです。そして白っぽい波板をチラリと見せて全体にメリハリをつけてまとめています。屋根の傾斜なども左右を微妙にちがわせていますが、おそらく、建て主はなにも考えずに小屋を造り、何も考えずに小屋を維持しながら使っているのだと思いますが、日常の暮らしかた、美的センスがそのまま小屋に素直に反映されていて、見飽きない気持ちのよさがあります。ただ、用途がもうひとつわかりませんが、おそらく農機具などをしまっておくところなのでしょう。

小屋の旅 023 (平和と小屋)

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23.平和と小屋
 能登半島は小さな漁村の多いところですが、そんな海辺の漁師町ではなく、半島でも内陸の谷間にひっそりとたたずむ小屋で、里山をバックに、小屋の前には自家用だと思われる畑もつくられています。「この畑に小さな物置でもあったら」といった、おそらくささやかな農家の思いがかなったばかりの真新しい小屋の姿です。造りなどをみると、建て主の不器用できちょうめんな性格がよくでていますが、不思議なもので、小屋の前に広がる野菜畑の様子も、どことなくこの小屋の雰囲気と共通する実直なところがあります。同じひとがつくっているのですから、あたりまえといえば、そのとおりですが。

 小屋は、市販のベニヤ板が基本サイズになっていて、それを4枚張り合わせて間口とし、奥行きにはベニヤ板を縦に1枚使っています。そして正面の2枚を扉に使い、小さな建物にしては開口部の広い造りです。このほうがモノの出し入れがしやすいのでしょう。ベニヤ板と屋根とのあいだの軒には、半透明の波板をはめこみ、明かり取りもしっかり確保しています。ただ、屋根まわりの垂木や桟木、それに柱などの骨組みが全体的に細く、見た目に弱々しく見えます。太い建築材は慣れないと扱いにくいことから、このような細い木を使うことになったのかもしれませんが、建て主にとっては、初めての小屋造りだったのでしょう。「うまくいくか」といった、不安な気持ち半分で真剣に取り組んだ様子がちらほらとのぞき、ぎこちなさと初々しさがまざり合った表情が、なんともいえない味をだしています。

 その小屋の横には大活躍したと思われるハシゴと一輪車が、ひと仕事を終えたといった安堵の表情を浮かべながら木々にもたれかかっています。「難儀なものにつきあわされて、やれやれ」といったところでしょうか。よく見ると、小屋はまだ完全に仕上がったわけではなさそうで、スノコ状のものが前に立て掛けてあります。これを室内の床に敷く作業が残っているようですが、それでも外見は一応完成しためでたい門出を、うしろの紅葉が盛大に祝福しています。

 小屋の主は、さっそく収穫物を軒先いっぱいにぶら下げて、実に楽しそうです。うれしさのあまりか、張り切りすぎたのか、いささ吊るしすぎではないかと思いますが、これはいったいどのような植物なのでしょうか。根っこの部分を天日で乾燥させているのはたしかです。薬草にでもするつもりなのか、それにしても量がやたら多いです。この“植物の首吊り”のようなものを家の軒先に堂々とぶら下げたりすると、縁起でもない迷惑な、と家族から総スカンをくらうことだけははっきりしています。家でやりたいが、できなかったという、主の強い願望を、だれにはばかることなく、畑という自分の領分で思いきり吐露させて喜んでいる、そんなお気楽な世界で、こういうのを“ひとり平和の小屋”とでもいうべきなのでしょうか。

小屋の旅 022(歌舞伎する小屋)

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22.歌舞伎する小屋

 富山県南砺市にある小屋ですが、ここは平成の合併までは福光町だったところで、昔からドジョウの蒲焼きとプロ野球選手のバットづくりで知られています。県内でも内陸部に位置して水田が盛んなこともあってか、小屋をいろいろ探してみましたが、意外と見あたりません。そんななかで目にしたのが写真の小屋です。石川県との県境に横たわる医王山系から続くなだらかな丘陵地を水田に開拓し、そのご減反によって大豆などを栽培しているところです。小屋はその丘陵地の高台に建てられています。

 私はあまりこのへんの土地勘はありませんが、三方を山に囲まれ、写真の正面、遠くに見える山並みは合掌集落の五箇山白川郷方面で、小屋の前方遥か彼方には北アルプス、背後に迫っている山の裏側が金沢市といった位置関係でしょうか。晴れた日などは見晴らしがよく、ここに立てば、落ち込んだ気持ちもたちまち晴れてくる、といった調子のいい言葉がでてきそうな土地で、たぶん小屋は物置用や作業用というよりも、仕事の休憩用だろうと思います。

 その小屋は、市販の多目的ハウスを高台に運んだだけの簡単なものです。持ち主の小屋への思い入れやこだわりといったものは皆無で、ただ、快適に過ごすためのユニークな工夫がされています。もともと屋外で使うハウスだけに、本体に屋根機能をもっていますが、そこにもうひとつ“置き屋根”をのせているのがこの小屋の特徴です。それによって屋根にひさしをつくり、窓や壁に直射日光があたらないようにすると同時に、置き屋根と本体屋根との間に隙間を設け、そこに風を通して屋根からの熱を遮断しています。さらに、開口部を入口(山側)と窓2面の3方向にとるなど、みるからに開放的な空間になっています。夏の使用を前提にした小屋造りで、入口のドアを開けっ放しにしておくと、真夏でも天然の風が通り、室内は涼しく快適だと思います。それともうひとつ、足もとがしっかりしているためか、全体がキリッとひきしまって、颯爽とした雰囲気をただよわせています。

 ただ、この小屋の写真は、あまりほめられたものではなく、われながらなんと紋切り型の仰々しい撮りかたをしたものだと思います。歌舞伎役者が舞台で見栄をきっているかのような構図は、見ていて恥ずかしくなってくる陳腐なものです。ただ、このアングルで撮るように私に指示したのは、ほかでもない被写体の小屋だともいえますが、その小屋の思惑にまんまと私がはまったという、小屋と私の関係といったところでしょうか。それにしてもきわめて小さな小屋が、これだけ大げさなバック、重圧を背負いながら、微動だにしない力強さはどこからくるのでしょうか。監視小屋のようなものを連想しないこともありませんが、野菜畑といった現場にはいささか不釣りあいな感じもします。

小屋の旅 021(白い小屋)

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21.白い小屋

 富山県氷見市の角間という集落を抜けると突然、すり鉢状に広がったダイナミックな風景が目に飛び込んできます。かなり急な傾斜地に棚田がいまも相当数が健在で、そのなかにひとびとの営みがあって、小屋もいくつか元気な姿を見せています。住民はどこへいくにも坂を上がったり下がったりと、暮らしのなかに坂道と緑の自然が組み込まれた健康づくりにはよさそうなところです。写真の左下からのびる道路は、氷見市街から能登半島へ抜けるかつてのメイン街道で、山稜の中央部を切り開いた荒山峠へ、急峻な坂道を蛇行しながら駆け上がっています。標高が400mほどの峠を越えると能登で、明治中期に米国の天文学者パーシヴァル・ローウェルがここを通って能登へ入ったことを紀行文に残していますが、当時から難所として知られた峠道だったようです。

 その道路沿いに建つ白い小屋は、1階はクルマの車庫か農機具の格納庫、2階は物置になっているのでしょう。小屋の上のほうに数軒の家がありますが、県道からその集落への道はクルマのない時代に造られたもので、道幅が狭いうえに急な坂道になっていることから、積雪期などはクルマによる通行が危険なために、白い小屋を車庫として使っているのかもしれません。ただ、けっこう往来のある道路沿いの建物にもかかわらず、道とのあいだにクルマ寄せのスペースがないのは、物置としての使い勝手を考えた場合どうなのでしょうか。建物は、外壁と屋根に波板を打ちつけただけの簡素な造りで、その波板も経年によって白く変色しています。この劣化が功を奏しているといってはなんですが、短くカットした屋根ひさしとあいまって、シンプルでアカ抜けした表情をつくりだしています。

 写真の左上にもうひとつ白い小屋が見えます。こちらはかなり大規模な建物で、しかも右下の小屋とは対照的で、パッチワークのような壁や窓など、手作り感が魅力的な小屋です。ここからでは遠くてその様子がはっきりと確認できませんが、このへんの集落は牛を飼っているので、用途としてはおそらく牛舎ではないかと思います。この建物をなんとか間近で見てみたいと思い、クルマで小屋の近くの住宅地あたりまで行ったのですが、道幅が狭いうえに急坂で、カーブもきついといった道路事情から、とても私の運転では無理だと判断して県道沿いの白い小屋まで引き返しています。これも棚田の頂きにあって、なかなかいい風景をつくりあげている小屋だと思います。

 写真をよく見ると、 急な傾斜地に住宅もけっこうたくさん建っています。しかし、なぜか人間が暮らす家やひとの存在が希薄というか、完全にかすんでしまっています。稼ぎの大半を家に投資する土地柄なので、住宅などは大きくて立派なものばかりのはずですが、それでもまったく印象が薄く、さっぱりです。これで2棟の白い小屋がなかったら、“地味な村”を通り越して、明かりが消えた谷間のさみしい集落といったことにもなりかねませんが、そんな窮状を小屋は救っているかのようです。毅然として力強く、白鳥のような気高ささえ、といえば少し誇張になりますが、そのようなものもかすかに伝わってきます。私はクルマでときどきこの峠道を利用しますが、実は道路沿いの白い小屋というのは、近くで見るとなんの特徴もない退屈な建物です。白っぽくてのっぺりしているので、なおのこと目立たなく、真横を何回通っても見過ごしてしまうほどです。ところがこうして、集落から少し距離をおいて眺めると、まるで別の建物のようで、突出した美しさと存在感を見せています。

小屋の旅 020 (小屋と「森の生活」)

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20.小屋と「森の生活」

 貸し農園”とも呼ばれる「市民農園」は、“野菜づくりや花づくりなどをしたくても、市街地ではそのようなスペースがないためにできないことから、農地を借りて楽しめるようにした制度です。この市民農園に、宿泊可能な小屋を備えた「クラインガルテン」と呼ばれるものがあり、都市と農村との交流という考え方も包含した貸し農園、つまり「転地保養+遊び+土いじり体験+ひとの交流」といった、ちょっと欲張りすぎる要素をもったシステムです。ただ、“ひとの交流”については、各地にあるクラインガルテンによってかなりの温度差があるようで、写真の松本市四賀地区の「緑ヶ丘クラインガルテン」は、どちらかというと人的な交流に力を入れているところです。使用契約は1年ごとに更新され、月に2、3万円ほどで利用できます。


 松本市の北、虚空蔵山の南斜面の森のなかにある緑ヶ丘クラインガルテンは、1区画の広さが約300平方メートル、そのなかに30平方メートルほどのラウベと呼ばれる小屋と、畑や庭にできるスペースがついています。写真左手、クルマの前にある区画を見るとおおよその敷地の広さ、ラウベの大きさ、菜園づくりの様子などがなんとなくつかめると思います。この利用者は畑づくりを中心にしているようですが、もちろん庭園づくりをメインにしているひともいます。ラウベは住宅ではなく、限りなく住居に近い小屋という位置づけで、ここではログハウス造りになっています。室内はワンルームの1階にキッチンとバス、トイレが付き、庭に面してデッキが置かれています。2階はバルコニー付きのロフトで、5、6人が寝泊まりでき、薪ストーブの設置も可能です。写真の緑ヶ丘クラインガルテンは、クラブハウスから俯瞰するように撮ったもので、各ラウベの背面が見えています。わが国で1990年代に始まったクラインガルテンは、いまや全国に100カ所以上も誕生して供給過剰だといわれ、いくら募集をかけても利用者が集まらないなか、この緑ヶ丘は人気が高く、すべての区画が埋まっているそうです。

 緑ヶ丘のなかを少し歩いてみたところ、とても静かで落ち着いた雰囲気です。整然と区画されたエリアは、一般の住宅団地にまけない大規模なもので、全部で78区画もあります。それでもいたって静かです。これは緑ヶ丘の一帯が深い森に囲まれていること、小屋の外壁が自然素材の木であること、各区画の敷地の大半が畑や庭になっていることなど、様々な要因が関係しているからだと思います。騒音などは周囲の草木が吸収してくれるのでしょうが、住宅団地の明るくざわざわした感じとはまるで別世界です。おそらく騒音計のようなもので測定して、たとえ同じ静かさであったとしても、緑ヶ丘のような静けさにはならないというか、静寂の質が一般の住宅地とは決定的にちがっているようで、これがひとにどのように作用するのかです。同じ孤独という状況にあったとしても、それがむしろこころの充足に振れやすい空気感といったらいいのか。ここを管理している会社で聞いた話によると、ある利用者が自分で耕した土に植物の種をまき、それがやがて芽を出してきたときの喜びがあまりにも大きかったことから、さっそく自分の息子に連絡したところ、「大事な会議中にそんなことぐらいで電話をしてくるな」と切られたそうです。この利用者の発見、感激、喜びのようなものは、やはりこの森のなかの空気でないとなかなか、からだのなかから湧いてこないようにも思います。無機質で乾いた音や色、素材に囲まれて暮らす生活の快適さもいいですが、それ一辺倒ではやはり心身ともにくたぶれてくるわけで、それでも疲弊しないとすれはロボットに進化した人間か、さもなければ、たんに狂ってきたことに気づかない耐性が身についただけの人間かもしれません。

 ある意味で緑ヶ丘クラインガルテンは別荘地のようだといえないこともありません。ただ、ラウベをとりまく畑や庭づくりをとおして、利用者のひととなりや流儀のようなものがなんとなく見え、人間くささが伝わってくるなど、その意味ではここは住宅地の延長線上にある存在だろうと思います。コミュニティを生成するためには建物というモノではなく、そこに住んでいるひとびとの営みがあるていど感知できるほうが意思の疎通に有効ですし、交流もしやすいはずで、世の中には緑ヶ丘のようなタイプの住宅団地がいろいろあってもいいように思います。ソローの「森の生活」といえば盛大にイメージがふくらみますが、緑ヶ丘はそれをさらに団地版に改良し、現代のライフスタイルに消化しているようなところがあります。働きすぎて精も根も尽き果ててからではあと祭りで、そうなるまえに2、3年、このようなクラインガルテンで生活してみるのも、長い人生、いや限られた短い人生には、もっとも役に立つかもしれません。