小屋の旅 018 (棚田と小屋)

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18.棚田と小屋

 飯山から妙高に入ったところあたりで撮った小屋の写真です。昔ながらの棚田がまだかたちをとどめながら維持されているところで、5月の中旬ごろのものです。山は新緑の淡い緑に包まれ、そこに杉林が入り組んだ典型的な里山景観といったところでしょうか。山桜が咲いているのが見えますが、標高が高いとみえ、平地と比べて季節に少し時間差があるようです。田んぼには耕耘機が入って、これから代かき、田植えとなるのでしょう。その奥に真新しい小屋が見えます。

 この写真は4、5年前のものですが、棚田ではほとんど米づくりがされていません。写真の下のほうにかろうじて行なわれている程度で、あとは畑にしたり休耕田になったりしています。それでも耕作放棄はせず、草刈りなどを継続しながらなんとか環境を維持しているようで、時代の流れにのってゆっくりと変化している棚田です。昔ながらの姿を頑固に守っている棚田も立派ですが、この棚田のように、現実路線に舵をきっているところも、見ていて肩が凝らなくていいものです。

 実際、これほど小さい棚田で稲作を維持していくのは、現代にあっては非現実的です。その無理を承知でやっているのが、かなり高齢と思われる耕耘機の農家だろうと思います。スマホ依存やニコチン依存と同じく“田んぼ依存”という病気にかかっている、といえないこともありませんが、ただ、こちらの依存症は健康維持と生き甲斐には大いに役立っているはずです。耕耘機のいいところは、牛が田を耕すスピードに近いことで、ぬかるんだ土のなかを牛ならぬ耕耘機に引かれて、ひまな1日をゆっくり田んぼのなかを散策するわけで、健康に悪いはずはなく、これぞ“医者いらず”というやつです。

 畑に転用した棚田に建っている青いトタンの小屋は、どこかさっそうとしたところがあります。そして小屋の足もとには、野菜や果物を育てているのでしょうか、ビニールシートのトンネルが一列にのび、見ていて気持ちがいい風景です。新しい希望が棚田に芽生えている感じでしょうか。いっぽうの耕耘機の主はといえば、その耕耘機に引かれて行く先は、冥土への旅かもしれませんが、これはこれでまた、なんとも幸せな光景ではないでしょうか。三途の川を耕耘機といっしょに渡る覚悟がみられ、あっぱれというしかない道行です。カエルやその子のオタマジャクシ、ドジョウ、メダカといった田んぼの生き物たちに見送られながらの旅立ちとなるわけで、田舎の終活はこうでなくてはいけません、というひとつの見本です。