小屋の旅 031 (村と小屋)

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31.村と小屋 

 1992年に廃校になった氷見市の床鍋小学校です。校舎の一部だけを残し、学校跡地といっしょに公園にでもなっているのでしょうか。床鍋集落は、氷見市でも石川県境のかなり山奥にあり、小学校だった場所は、そんな谷間にひっそりと建っていた学校のようです。なかなかいい雰囲気の場所で、あたりを散歩していると、なんだか気持ちまでおだやかなになってくるところがあります。この廃校の近くには、秘湯の一軒宿として昔から評判の床鍋鉱泉がいまも健在で、私も一度だけ入浴経験があります。氷見で床鍋といえば、この鉱泉を連想するひとも多いはずです。

 廃校になって20年以上も経ち、また、過疎化が著しい山奥の秘境の村にあるにもかかわらず、 廃校跡は荒れ果てた、といったところがありません。小さな小学校だったとはいえ、グラウンドも含めるとかなりの面積になります。地元の維持管理のしかたが上手なのでしょうか、それほど頑張って手入れをしているようには見えませんが、ほどほどに、という言葉がぴったりあてはまるいい状態に保たれています。温泉でいえば、ちょうどな湯加減41、2℃で、お湯も肌にピリピリせずになめらかといった床鍋鉱泉のような感じでしょうか。これは、緑豊かな自然に囲まれた谷間に位置しているという、廃校をとりまく環境が大きいのかもしれません。

 校舎の建物は、間口が2間、奥行が2間半ほどで、村の規模にあったヒューマンなサイズに縮小、小屋化されています。この廃校の特徴は、大きな校舎をミニチュアにすることで、当時の学校の空気が濃縮されたところがあります。そのミニ校舎を正門のところに配置し、まわりに門柱やモニュメントなどを一緒に保存しています。学校入口の桜の木もそのまま残され、“山村の小学校”という雰囲気がよくでています。窓から室内をうかがうと、内部はワンフロアになっていて、畳が何枚も用意されているところをみると、地元の集会に使われているのでしょう。また、校舎の並びに昭和33年建立の二宮金次郎像も置かれています。これは隣町の高岡銅器でつくられたもので、金次郎が背負っている薪の1本1本まで精緻に表現されています。このような手のこんだ鋳物技術は、現在は職人がいなくてつくるのが難しいのではないでしょうか。見事な金次郎像です。

 ある民俗学者が、日本の集落は二間四方のアズマヤを建てて一村とし、集落を形成しているといっています。アズマヤとは村の神社のことで、その2間四方の広さには15人(15軒)ほどがはいれる広さがあることから、ひとつの村は15軒ほどで構成されるのが決まりだといっています。そして、開墾などによって村の人口が増えると、村のコミュニティを拡大させるのではなく、隣に新しい村をつくることによって、次々と村の数を増やしていったそうです。これは日本の北から南まで、全国で一般的に見られるとのことです。なぜ村のボリュームを大きくしなかったのかという素朴な疑問もありますが、床鍋小学校を小屋化したミニ校舎は、まさにこの民俗学者がいうアズマヤ、村社のスケールそのものです。この小学校の廃校がうまく維持されている背景には、学校の校舎を村社、つまり無意識のうちに鎮守の森に見立てて守っているからではないかと思います。学校が小屋となって、完全に村に取り込まれたというわけです。