小屋の旅 034(緑と小屋)

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34.緑と小屋

 魚津に用事があって、片貝川の上流へ行ったときに見つけた小屋です。朝の7時すぎで、天気はそれほどよくはなかったように思います。露を多く含んだ重い空気、夏の盛りなのにひんやりとした冷気が残る時間帯です。手前の水田は、稲穂の出始めのころでしょうか、少し緑の色があせぎみですが、雑草や、ことに背後のスギ林などはたいへんに濃い緑で、そんな一色の緑のなかに建てられた小屋です。

 小屋そのものは、小さくて造りも簡単、外壁や屋根などすべて単色仕上げで、凝ったところはまったくありません。色彩も造形もシンプルで変化に乏しいものですが、全体に余計なものがついていないのと、短い屋根ヒサシとあいまって、雑味のない引き締まった彫像として立っています。とはいえ、どちらかというと、どこにでもある退屈な小屋です。それが張りつめた妖艶さというか、官能的なまでに美しく見えるのはなぜか、と思ったりもします。

 森や自然、エコロジーの象徴といった心地よい緑であっても、こうまで一色の世界に染まると、さすがに辟易します。さわやかさをとおり越して陰気なものを感じないでもありません。そこで、ネットで緑色についてチェックをしてみると、もえぎ色や若草色など、緑系だけでも日本の伝統色には70種以上もあるそうです。それらから連想するイメージもまた様々なもので、“さわやか”や“やすらぎ”といったもの以外にも、“生命力”、“苦しさ“というイメージも緑色にはあるそうです。たしかに、雑草の茂みを草刈り機でひと払いしただけで、そこから無数の虫たちがわっと、一斉に飛び出し、緑にぎっしり命が詰まっているのを実感することがあります。静寂の緑には、命がうようよと駆けめぐり、弱肉強食の世界が渦巻いているのでしょうが、そんななかで超然と立っている小屋です。

 このままずっと静止した時間であってほしいという思いがわいてきたりしますが、そうはうまくいかない予感もします。これがもし、太陽を浴びた昼さがりにこの小屋を目にしていたら、姿はまったくちがったものになっていたはずで、これほどまでに生々しく存在しなかっただろうし、普通にさびれた、眠い小屋ではなかったかと思います。昼下がりのネオン街のようなものですが、それもまた、見てみたい小屋の風景であり、こころがひかれます。それにしても小屋を実際以上に美しく見せているのは、まちがいなく緑の力だと思いますが、人間がもしこのような濃密な緑のなかに立てば、たとえ老婆であっても美女に見えてくるのではないかと、考えたりもします。