小屋の旅 036(休息と小屋)

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36.休息と小屋

 氷見市の山間部にある小屋ですが、すでに使用されてなく、棚田を飾るモニュメントになっています。石川県は能登との県境の山奥に一カ所だけぽつんと残っている棚田で、よくこんな森のなかに水田を造ろうと思い立ったものだと、感心させられるような場所にあります。棚田の周囲はスギ林で、この田からいちばん近い人家まで4、5キロほどもあります。かつてはこの付近にかなりの棚田があったようですが、それらは早々とスギ林などに転作されていくなかで、この一画だけが孤高の水田として稲作を守り続けています。半分朽ちかけながら立っている小屋は、そんな山中での稲作の苦労を忘れようとしているかのようにもみえます。

 

 棚田のご主人とは少し話をしたのですが、会社を定年になったので、これからは田んぼ一本に専念できるとやる気十分で、知り合いから譲り受けたこの棚田の広さは1町歩ほどあるそうです。上から下まで6枚の田が階段状にきれいに弧を描きながら連なり、しばらく眺めていても飽きることがありません。田んぼ越しに見える小屋は、その6段のなかほどに建っています。小屋の上のほうに3枚、下に3枚で、真ん中のアゼのなかに1枚隠れていますが、ほかにも小さな田が何枚かつぶされています。ご主人の話では、自宅から離れていることから、雨露をしのぐ休憩用に小屋が必要だったそうです。軽トラのなかった時代は、家と棚田との行き来だけでもひと仕事で、朝、家を出ると、夕方まで帰れなかったはずです。会社勤めも似たようなものですが、農作業に軽トラが使えるようになると、今度は世の中がせわしなくなり、山のなかでひとり仙人のような野良仕事をやっている余裕がなくなるなど、いろいろ苦労があったはずです。小さくて粗末な建物ですが、この小屋のおかげで、今日まで続けてこられたところがあるのではないでしょうか。

 

 小屋の骨組みは健在ですが、屋根も外壁もボロボロ、荒れ放題です。ただ、屋根に野路板を張り、そのうえに波トタンをかぶせた丁寧な造りになっています。物置などの小屋は普通、垂木のうえに波トタンを直接張って事足りるわけで、屋根に板を1枚はさんだのは、休息のための環境を考えてのことだろうと思います。屋根トタン1枚だけでは、雨が降ると音がうるさくてなかにいられませんし、太陽の熱で夏は蒸し風呂状態になります。それを野路板を緩衝材にしてさえぎりたかったのでしょう。現在は不要になったとはいえ、この小屋、いまも棚田全体になんともいえない雰囲気を与え、棚田の景観としては、小屋があるのとないのでは雲泥の差です。設置場所についてはご主人に聞き忘れましたが、実用性だけで考えると、道が通っているこちら側のほうが便利なわけで、ただ、そうすると棚田との景観がもうひとつということになります。ご主人が熟慮を重ねて立地場所を考えたとは思いませんが、眺めもある程度考慮して、この場所にしたのではないかと思います。問題は今後の小屋の行く末です。このまま朽ちていくのを放置しておく、あるいは、屋根と外壁だけでも補修して残す、いっそのこと解体するなど、いろいろな選択肢はありますが、ご主人の思いはどうなのでしょうか。今年も豊作、秋の空です。

 

 アゼは漢字で“田の半分”、「畔」とも書きます。この棚田のアゼは、見てのとおり、その「畔」の字を見事に体現しています。ご主人が「アゼを入れて1町歩」と、田の面積はアゼを含めた広さであるとをわざわざ断っていましたが、棚田全体のかなりの部分を、米がまったく獲れないアゼで占められています。田に欠かせないアゼは、また顔のヒゲと同じようなもので、立派なものほど手がかかり、その管理は一にも二にも草刈りとなります。ご主人によると、暑い盛りにひとりで、棚田の上から下に向かって草を刈っていくそうです。やっとの思いで下の田まで刈り終え、顔の汗をふきふき上のほうを見上げると、いちばん上のアゼの雑草たちが、「早く刈ってくれ、刈ってくれ」と、ご主人を呼ぶのだそうです。結局、朝から晩まで草に追いまくられる毎日となるわけです。そのかいもあってか、見応えのある堂々としたアゼ、いや棚田が維持されていますが、どうも、そのもてる労力と精魂の大半を捧げているのは、収穫が間近に迫った田んぼの稲というよりも、アゼ草のほうではないかと思えてきたりもする、そんなご主人を労働を支えてきたのが、この小屋ということになります。