小屋の旅 038(風と小屋)

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38.風と小屋
 氷見市高岡市にまたがる海岸沿いは、砂地の畑が広がっていて、昔から盛んに野菜や果物がつくられています。ということは農業用の小屋の一大集積地になっていてもおかしくありません。このへんは、かつて海水浴でお世話になったところなので、状況はあるていど察しはつくものの、小屋は電柱同様、意識して見て歩かないかぎり、目に入ってきません。どんな小屋がどこに、といったことはまったく想像ができませんが、だからこそ一方で、期待も大きすぎるほどにふくらむことになります。畑作一本の土地柄ということは、小屋の数に加えて、新旧入れ乱れた歴史的な厚みも期待でき、小屋の理想郷として、大いに発展しているのではないだろうか、と思いをめぐらすほどに、「ああ!なぜ、ここへ真っ先に向かわなかったのか」といった、後悔がつのります。

 

 さっそくカメラを手に理想郷へ出かけてみると、たしかに小屋はあるわ、あるわです。どれから先に撮ってやろうかといった感じですが、いざ撮りだすとこれがなかなか難しいわけです。たくさんあるのは小屋だけではなく、新しく建てられた住宅などが、小屋に負けず劣らずといった勢いで繁殖し、広大な畑作地帯は立派な住宅地に変貌しつつあります。野菜も家もよく育つ土地柄なのでしょうか、どの小屋も背景に家が入ってじゃまをし、うまく撮らせてくれません。結局、まともに撮れたのは2棟ぐらいで、そのなかの1棟がこの細長いタイプの小屋です。田んぼの稲を干すハサギ用の支柱や竹竿を収納する小屋と似ていますが、ここは畑作なのでハサギは必要ないはずです。ただ、小屋の並びに何本か等間隔に木の柱が立っているところをみると、どうやら防風用ネットを張る支柱をはじめ、畑に必要な諸々を収めておく小屋のようです。このへんの畑は白砂青松の地で、風が吹くと盛大に砂塵が舞い、防風ネットは欠かせないのだと思います。

 

 たかが小屋とはいえ、畑のどこに建てるかとなると、あれこれ思いをめぐらすのではないでしょうか。ここでは、碁盤の目のように区画された畑の左隅に建っています。使い勝手や土地の有効利用から、小屋を建てるときの位置は、現在地か、右側の畑隅に寄せて建てるかの二択になりますが、どちらにしても、畑の一部に建物による日陰が生じます。これが野菜づくりではちょっとした問題で、よく「朝日が当たらないとうまく育たない」といわれ、光合成の関係で、夕日よりも朝日が生育に影響するとされます。そんなこともあって、畑の主ならだれでも、午前中に自分の畑に日陰をつくりたくないはずです。で、この小屋をみると、もし右側の畑に寄せて建てた場合、午前中は自分の畑に建物の陰を落としてしまいます。それを嫌って、現在の左隅にもってきたといったことが推測できます。お隣のネギさんには、少し辛抱をお願いして、というわけです。しかし、どっこいネギ畑さんのほうも負けていません。ネギの畝に沿って立つネット用の柱ですが、小屋の並びよりも少しネギ畑側にずれて立っています。ということは、この柱を立てたのは小屋の主ではなく、ネギ畑の主人ではないのか、そして残り半分ほどは、隣の細長い小屋をネット代わりに風除けに利用させてもらって、というものです。これもまったくの憶測ですが、隣同士、それぞれに思惑が交差する畑の境界線です。ただひとつ気になるのは、ハサギ柱を転用したセンチメンタルな木の柱です。このような、いささか時代がかったものは、出荷用ネギに精をだす主人の好みというより、むしろ小屋の主の肌合いに近いのではないか。もしそうだとして、小屋の主人が立てた柱だとすると、話は180度変わってきます。つまり、ネギ畑方向からの風を避ける楯にするために現在地に小屋を建て、残りはネットを張って防ごうとした、というものです。こちらのほうが、なんとなく説得力があるように思います。

 

 本来はもう少し正方形に近いほうが、小屋としての使い勝手はよく、汎用性も高いはずです。細長いトンネル型になったのは、支柱や竹竿などの収納に加えて、素人でも組み立てやすいかたちのためではないかと思います。特徴的なのが屋根と壁の接合部で、トタンを曲げてうまくつなぎあわせています。このグレーの横帯と、明かりとりの半透明の波板によって、夕日に染まった鮮烈すぎる外壁におもむきをあたえ、落ち着いたフォルムに軟着陸させています。そして、小屋の入口にはコスモスが咲き、おそらく夫婦で畑をされていると思われますが、ケンカをしながら仲睦まじくといった、他人の夫婦仲までなんとなくみえてくるおだやかな光景です。ただ、小屋そのものに華やかさや、翼を広げたようなのびやかなところはなく、無口でシェルターのように身構えたところに、持ち主の性格がよく出ているように思います。このような住宅が混在する中途半端な土地より、もっと不毛の大地にあったほうが、ふさわしいような気もします。