小屋の旅 039(小屋の情景)

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39.小屋の情景
 ホームセンターなどで売られている波トタンを使って建てた小屋は、いずれ、遅かれ早かれ経年劣化によってサビが浮き、やがて茶褐色におおわれてきます。いわば自然の成りゆきで、なんら変わらないものよりは移ろいがあって、むしろ親しみがもてるかもしれません。この小屋は、外壁の半分以上をそのサビが占め、ところどころに腐食による穴も見えますが、不思議と、それほど「朽ちた」「汚れた」「貧しい」といった、ネガティブな印象は受けません。むしろ、静かでおだやかな雰囲気を湛え、あたたかいトーンに包まれています。“やさしい小屋”とでも形容すべきか、近くまでいったらまた立ち寄ってみるか、と思わせるところがあります。

 

 小屋が建つ場所は、能登半島でもカキの養殖で知られる七尾湾からほど近い、広い田んぼの片隅で、あたりに建物らしいものはなにもありません。そんな閑散とした寂しいところにぽつんと一棟だけ建っています。ただ、まったくなにもないところ、といえばウソになります。太陽の日差しあり、風あり、雨ありで、冬は雪も降り、暑さ寒さもやってきます。カラスやスズメといったおなじみの野鳥に、トンボ、カエル、蝶など、様々な生き物たちもこの小屋を訪れ、ネズミやヘビ、トカゲ、ムカデなどは、きっとここを常宿にしているにちがいありません。かなりにぎやかな小屋といってもかまわないと思いますが、もちろん主人公のオーナーも人間代表として頻繁に訪れて耕作に励みながら、これらの生き物たちとケンカをしながら仲良く、交流を深めていることでしょう。都心の繁華街とはまたちがった意味での騒々しさ、活気があって、オーナーにとっては、なにかと不満が多い現実の自分から抜け出すことができる唯一の場所、お一人様ワンダーランドではないでしょうか。

 

 海に近い建物は、塩害のおそれから外壁は潮風に強いスギ板を使うのが一般的ですが、ここでは波トタンが使われています。しかも、どこかでさんざん使ったあとの廃材15枚ほどを巧みに張り合わせています。市販のトタンパネルなら4、5枚もあれば事足りるところですが、このへんがオーナーのこだわり、人柄でしょう。サビて穴のあいたトタンまでも上手に使いこなしています。小屋の機能性を考えると、この程度の穴などはむしろ室内の風通しをよくし、建物や収納物にいい影響を与えるので歓迎すべきものです。また、軒のところのつぎはぎの処理ひとつとっても、これまた繊細で細やかとしかいいようがありません。モノをいとおしむようにつくりあげたといったらいいのか、そのような気持ちが小屋全体からにじみでています。このような価値観が日本に存在していたことすら思い出せない遠くにきてしまった現代の消費社会では、まさに驚異です。土台を支える礎石も、どこから拾ってきたものか、大きめの石を用いて見事な基礎に仕上げ、サビたトタンと相まって風流なおもむきすら感じます。その基礎まわりに庭木のようなものが添えられていますが、これは自然に生えたものではなく、オーナーが「ここに植えよう」という強い意思にもとづいて人工的に植栽されたものです。小屋の維持管理も完璧といってよいほどです。いっけん、粗末でむさ苦しい小屋に見えますが、小ぎれいで折り目正しい、なかなかすばらしい小屋の情景だと思います。

 

 実は、最初に訪れてから数年後に再びこの小屋を訪ねてみたのですが、これが驚いたことに、建物はまちがいなく以前と同じで、場所もこれまた相違なく、周辺の環境を含めた様子も、前回訪れたときと変わりがありません。殺伐として、冬などは寒々とした枯れ野が広がり…、といった想像力が自動的に働くところなども、相変わらずです。ただ、小屋の外観だけが劇的に変化し、外壁や屋根トタンが、今風に新しく着せ替えられ、建物は別物になっています。柱や梁、土台といった骨組みは、以前のものを壊さず流用しているようですが、これでは普通のありふれた小屋です。どうしてリニューアルしたのだろうかと思ったりもしましたが、親から子へと代が変わったとしか考えられません。野菜などをつくるために小屋は必要だったのでしょう。名残惜しい、もったいないという気もしますが、潔く消え去るのも「またよし」といったところでしょうか。