小屋の旅 040(霧と小屋)

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40.霧と小屋
 霧のなかに家具のソファや雑草、青い屋根の小屋、そのうしろに軽トラに野焼きの白い煙り、シートをかぶったトラクター、山裾には大小ふたつの小屋に満開の桜がぼんやりと浮かんでいます。さらに墓石もあっちこっちに点在するなど、とりとめのない、少し幻覚をおこしたようなありふれた風景です。霧が晴れると視界良好、我にもどって「まじかよ!?」となるわけで、白い霧のなかに見え隠れすることで救われる世界があるとすれば、ここもまたそのひとつだといえます。幻想につつまれて平和が保たれているわけで、近年、社会のいたるところで「見える化」が進み、安全、安心はけっこうなのですが、気がつけば監視社会へまっしぐらの予感もただよいはじめ、おのずと閉塞した気持ちになったりすることがあります。そんなときは、この雑草をバックにしたソファに休んではいかがでしょうか。ゆったりと腰を落とすと、前方に日本海が広がるはずです。

 

 まだ枯れ草が残り、完全に目覚めていない春の里で、小屋は霧におおわれていささか眠そうですが、三棟の小屋のうち、いちばん手前の一棟と後方左の一棟は、けっこう大きなもので、このへんでは“納屋”と呼ばれているものです。手前の小屋にはシャッターと窓が設けてあり、屋根にありふれたネズミ色や焦げ茶ではなく、ブルーのトタンを使うなど、意匠的にメリハリをつけ、そこそこ頑張って建てられた小屋です。また、山裾の小屋は薄らとしか確認できませんが、こちらは2階建ての伝統的な造りで、手前のものよりボリュームもあります。昭和を思い出させる懐かしい納屋といったところでしょうか。

 

 小屋の多くは、小さく、かつ使用目的がはっきりとしています。これに対して当地の納屋は、農業や漁業、大工といった生業における作業場としての役割も担っているなど、多様な使い方を想定して造られています。そのために自宅の敷地に住居、蔵、納屋を3点セットで配置するのが基本です。この場合の“蔵”というのは蓄財のシンボルではなく、生業の材料や商品を保管する倉庫の機能をはたすものです。本来は家に付属する納屋が棚田に一棟だけぽつんと存在しているのは、家の敷地が狭くて建てられず、やむをえずここにもってきたからなのでしょう。このへんの集落は、能登半島でも海沿いの半農半漁を生業としてきた村で、家の前は豊穣とまではいかないまでも小魚や海草類に不自由のない海があって、その海岸の高台にこの棚田が広がり、里山へとつながっています。自給自足には理想的なところです。

 

 手前のソファは、リビングやロビーなど室内で使われる家具です。それが野外の、しかも畑のなかで雑草や小屋、墓などと一緒に置かれています。季節は4月なので、野菜作りの支柱などもたくさん用意されていますが、肝心のご主人の姿はどこにも見当たりません。納屋が自宅敷地を離れてここに来ていますが、ソファもまた、家のリビングから畑に引っ越してきたわけです。野良仕事の疲れをいやす腰掛けぐらいなら、簡単なイスやベンチ、ビールケースなどでも間に合いそうなものなのに、よくこんな場ちがいなソファを畑までもってくるというばかばかしい勇気を奮い立たせたものです。これだけ大きいと、ひとりでの運搬は難しく、家族に頼んでも「あほらしい!」と相手にされないのがオチで、友だちにでも助けてもらったのでしょうか、運んでいる様子なども見てみたかったものです。一般にソファにとって畑は想定外の設置場所であるのは事実ですが、よく考えると、この主人の場合、畑仕事で疲れたからだをその場で癒せるソファは、遠く離れた家よりも、疲れの発生源の近くである畑で使うほうが理にかなっているところもあり、まんざらまちがった光景というわけではありません。で、ソファの使い心地はといえば、こればかりは実際に腰掛けてみないとわかりません。おそらくリビングのソファが家の窮屈な風呂だとすれば、畑でのソファは野趣あふれる露天風呂といったところでしょうか。それぐらいの差はあるかと思います。