小屋の旅 017 (鎮守の森と小屋)

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17.鎮守の森と小屋
 桜の木とビニールハウスのあいだの砂利道は、村の神社に通じる参道で、ハウスの前に“00村社”と刻まれた石柱も立っています。その社は、写真右方向へ少し行ったところにあり、参道脇にはスギの木も何本か見えますが、風格のある古木、巨樹といった類いではなく、きわめて貧弱なものです。少しも春を思わせる勇ましい空気、わくわく感が伝わってきませんが、断じて殺風景でも殺伐としているわけでもなく、それこそ細々とした営みが淡々と続いているといった静謐な気配があって、それがまたいいのではないかと思えてくる小屋の風景だと思います。

 ちょっと薄暗く湿ったスギの参道に咲いているのは、山桜でしょう。やせ細って曲がった幹など、“なんと立派な”、といったものとはほどとおい桜の木ですが、咲いてる花に透明感、清楚さ、つつましさのようなものがあります。おそらく山桜の代わりにソメイヨシノなどでもそれなりに美しいとは思いますが、それはやはりここではちがうかな、といったところです。まあ、この山桜が美しく見えるのは、単純にここが山そのものだからかもしれません。

 ビニールハウスは、稲の育苗用のもので、春の1ヶ月間ほどだけ設営される仮設小屋です。ここで種もみから背丈15センチほどの苗に育てあげ、それを田んぼへ運んで田植えとなるわけですが、例年5月中旬から下旬が田植え時期なので、1ヶ月前の4月中頃に育苗箱に種もみをまき、その箱を慎重にハウス内に移します。その大切な苗箱が入ったハウスの入口を、よれよれのベニヤ板とつっかえ棒で力いっぱいにふさいでいるところをみると、ちょっと矛盾した力の入れようではありますが、今年の米づくりにかける農家の強い意欲が感じられます。そしてここまでは苗づくりも順調にきているみたいで、とりあえずはめでたし、めでたしといったところでしょうか。

 この春に新調したと思われるハウスのシートだけがやたら目立ち、そこだけがとても晴れやかな空気がただよっています。きっと「今年も頑張るぞ!」といった、意気込みでこのハウスを組み立てたのでしょうが、この農家も例にもれず高齢のかただと察します。稲作にかける情熱とはうらはらに、ふと我にかえると、「わしもあと何年続けられるのかな‥」といった、ため息もでてくる、そんなやるせなさを含んだピカピカのハウスで、それが山桜や、やや暗く湿っぽい鎮守の森とうまくシンクロしているようにみえます。そして4月下旬ごろには、参道の奥から五穀豊穣を祈願する春祭りの笛や太鼓の音が聞こえてきます。その祭りは過疎の村だけに“老人会の集い”といった調子で気負いもなく、安心して見ていられるような乾いた熱気で宴会が始まり、朗々としたおめでたさにつつまれる、というのは実は幻想であって、現実はむしろ逆の展開になることが多いのではないでしょうか。歳をとるほど、肉体同様に人間のこころや精神も劣化してくるのが一般的ですから。

小屋の旅 016 (ひとりユートピアの小屋)

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16.ひとりユートピアの小屋

 写真左下に見える小さな小屋は、急な坂道を50mほど登ったところに建っているもので、すぐ上には田んぼが広がっています。ほ場整備のされていない昔ながらの懐かしい棚田です。小屋のほうは間口が1間余り、持ち主がみずから手作りで建てたものと思われ、素人にしては上手に造ってあります。もちろん稲作で使うための施設ではなく、その横にある畑用です。

 小屋や棚田の一帯は地形的に特徴があって、大きな谷間のなかにある単独峰のような小高い山を棚田に開墾してしたところです。写真は谷をはさんで撮っていますが、菜の花越しに見える田んぼは、その山頂部を削って台地にしたもので、裾野にも棚田が階段状に広がっています。この台地での稲作は、耕作者が高齢のために撮影した年が最後となっています。毎年ここを訪れていますが、これだけ菜の花がいちめんに咲き誇っていたのは、この年だけです。翌年から棚田にスギの苗木が植えられ、ゆっくりと田んぼからもとの山へ、人の手から自然へと帰っています。

 この小屋で少し気になるのは建っている場所です。本来なら台地の上にある畑の片隅に造ったほうが、畑仕事にはなにかと都合がよかったはずです。それなのにこの場所になったのは、ひとつに軽トラが畑まで行くことができず、建築材の運搬が困難で、妥協してここになったというものです。また、大きな谷間のなかにある高台なので、谷を抜ける強風のリスクも考えられます。突風が吹くと小屋が飛ばさせる恐れから、それを避けるためにこの場所にした可能性もあります。いずれにしても少し遠慮がちに、中途半端な場所に建っていますが、これも城などと小屋とのよってたつところのちがいなのでしょう。

 台地の棚田には水が張られ、これから最後の米づくりがはじまろうとしているところです。右横の畑ではすでに野菜づくりが始まっているようで、その奥に2本の梅の木が花を咲かせています。観賞用ではなく、梅干しの原料となる実を収穫するためのものです。2本の梅の木の真ん中にぶどう棚らしきものも見えます。夏はこの棚の下で休憩をとったりするのでしょう。さらにその奥は植林した里山へと続きます。これで柿の木などでもあれば、1970年代以前の農家の庭先を彷彿とさせるものがあり、その理想のかたちをここで実現している、まさに箱庭のような光景です。小屋の持ち主は、ここに自分の小さなユートピアをつくっているのかもしれませんが、ストレス、認知症、TPP、株、為替といったものとは、まったく無縁な方なのでしょうね。咲き誇る菜の花のように。

 

小屋の旅 015 (山里の小屋)

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14.山里の小屋

 写真の小屋があるところは、能登半島の付け根に位置する氷見市でも山奥の中山間地で、季節は3月から4月ごろにかけてのごくありふれた風景です。近年の暖冬の影響か、道の両脇にはすでに雑草が顔を出しています。長い冬を経て春を迎えると真っ先に目にするのがこの植物群で、別に待ちどうしいというほどのものではありませんが、それでもどこか懐かしいというか、ホッとしたうれしい気持ちもこみあげてきて、複雑な心境にしてくれます。山里ではいよいよこの生命力にあふれた雑草との格闘シーズンを迎えますが、そんな序曲に立つ小屋です。

 集落から少し離れた棚田の入口にあるこの小屋は、トラクターなどの農機を格納しておくための施設と思われ、鬱蒼とした森を抜け、前方に広がる明るい風景が印象的です。どうもこの建物は“場所性”に特色があり、青いトタン屋根がよく目立つことや、棚田への入口という境界に立地することなどから、地域の一里塚のような役目をはたしているようです。村境や峠、三叉路に祀った石像に、厄除けや五穀豊穣を祈願する「道祖神」「地蔵」「サイノカミ」といった古い風習を想起させるものがあって、この小屋が立つ位置に道祖神が祀られていてもおかしくない、そんな場所だと思います。もちろん小屋の持ち主はそのようなことを念頭にここを選択したわけではなく、おそらく、だれが建ててもここを選んでしまうポジションにおさまっている、そのような小屋ではないでしょうか。

 外壁はクリームとブラウンの2色のトタン廃材をうまく組み合わせ、落ち着いた配色にしたうえ、屋根をブルーの波トタンでアクセントをつけるなど、けっして贅を凝らした造りではありませんが、センスのよさがうかがえます。屋根や壁が汚れてくすんでいるところなども、こうして見るとなかなかいい調子です。着こなしがじょうずなわけで、それに加えて小屋にしては土台部分がしっかり造られ、屋根と基礎まわりにコストをかけた模範的な建物になっています。おまけに手入れや建物周囲の草刈りといったメンテにもぬかりがなく、持ち主の堅実な人柄がなんとなくでています。

 「近づく春」を、気温の上昇や日差しの強さなどで察することができます。これは市街地でも山里でもみな同じですが、山里ではもうひとつ、野や山の色合いが徐々ににぎやかになってくることで、春の訪れを知ることができます。冬に色が消えて世界がリセットされ、それが春になると木々の芽吹きにはじまって花々が咲き、緑、赤、黄など、いろんな色がゆっくりと強度と量を増しながら蘇ってきます。色にもエネルギーがあり、それに促されるように小鳥やカエルなどの動物たちのざわめきも湧いてきて、それこそ過疎地であっても活気みなぎる季節がやってきます。自然が動いている、自然が生きているといった騒々しさにつつまれる山里の春ですが、この小屋はそのような営みを静かに眺めながら佇んでいるかのようです。

小屋の旅 014 (植物園の小屋)

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14.植物園の小屋

 スイセンの背後に見えるハウスは、氷見市海浜植物園にある小屋で、展示植物を育てる育苗施設として使われているものです。白砂青松の松田江浜に建設された同園は、ポストモダンの建築家・長谷川悦子氏の設計による迫力ある造形が目玉で、平成8年の竣工からかなりの年月を経た現在でもそれほど違和感はありません。ただ、問題はクセのあるこのハードをどのように使いこなすかですが、こればかりは、地方の小さな町でうまく生かしていくのはいかんともしがたいところがあるようで、それなりに考えさせられる植物園になっています。そんな園内の裏地にあるのがこのハウス小屋です。

 小屋というには少し大きすぎますが、屋根も壁も総ガラス張りの温室ハウスで、海へ向かって突き出したアクロバチックな本館とは異なり、こちらはきわめて普通の建物です。ただ、その湾曲したガラスの壁面いっぱいに夕日が映り込むと、大きく表情を変えます。ハウスは植物園のバックヤードなので一般には公開されていませんが、夕日を浴びると舞台の主役に躍り出るほどの生気がでて、それを見ていると「ハウスのなかに入ってみたい」と思わせる求心力を帯びてきます。

 おそらく建物の設計においては、その土地の情報をいかに集めるかが大きなテーマというか仕事になると思いますが、この植物園にあっては、“朝日”や“夕日”といったコンセプトがあってもおもしろい植物園になったと思います。日が昇る時間帯にここを訪れたことはありませんが、夕日を浴びるころには独特の雰囲気に包まれます。平板な日中の光とは異なり、朝や夕方の日差しにはひとの情感に訴えるなにかがあるようで、また植物園だけに施設にガラスを多用していることや、海岸に隣接し、浜辺の植物に熱帯・亜熱帯の植物を展示していることなどを考え併せると、なおのことそのように思います。

 写真のスイセンは、バックヤードと駐車場の境に植えられ、ひと目につく場所にあるにもかかわらず、「わぁ、きれい!」「美しいわね!」と、声をかけてもらう機会はほとんどありません。よく「植物にやさしい言葉をかけながら育てると、よく育つ」といった話を耳にしますが、植物園の駐車場の花にはそれは望めません。それでもスイセンはその季節になると見事な花を咲かせます。北陸でスイセンといえば古くから越前海岸の自生地が有名で、大陸から流れ着いたという説もあるようです。そうだとしたら東尋坊に代表される険しい海岸沿いを選んでよくぞ定着したものだと感心します。しかも寒風吹きすさぶ日本海の冬に花を咲かせるといいますから、「そんなに厳しい環境のなかでどのように咲いているのか」と、興味をおぼえます。一方、写真のスイセンは植物園の裏手の駐車場脇という、これまた園内ではいわば辺境の地に咲く花で、ある意味、越前海岸のスイセンと似たような立場だといえなくもない、と思ったりもします。

小屋の旅 013 (妖精の小屋)

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13.妖精の小屋

 どんよりと雲がたちこめた日ですが、鬱積した空気が冷たく無言でおおいかぶさって、ちょっとイライラしてくる空模様です。この重苦しい気候風土はいかにも日本海側の専売特許といったところで、猫などもこんな日はけっして空を見上げたりはせず、ただうつむき加減に散歩するのが日課です。冬でもなければ春でもない、かといって秋でも夏でもという北陸が中腰になったような季節に佇む小屋です。

 写真手前の水があるところは田んぼで、粘土質の土壌のために秋から春にかけてはこのように水を張っておくそうです。普通の田は、収穫を終えると翌春まで干すのが習わしですが、ここは反対です。田に水がないとひび割れが発生し、田植え時期に使い物にならなくなるのだと、以前に聞いたことがあります。そんな田んぼの背後の小屋は見てのとおりの温室ハウスで、造りがとても立派です。ただ、この建物はいっけん新しく見えますが、屋根の一部が破損しているなど、放置された廃墟のようでもあります。それでも美しく見えるとすれば、北陸独特の湿った密度の高い空気によるものなのかもしれません。

 この小屋がある村は、かつては氷見市でも屈指の棚田で栄え、その後に干し柿生産にも手をだしたようです。温室は野菜などの栽培用ではなく、干し柿の柿を乾燥させる小屋として使っていた遺構ではないかと思います。よくできた干し柿は甘党でなくても手が出るほどのおいしさで、わが国が誇る最上のスイーツですが、その“最上”のスイーツづくりに挑戦した村人の夢のあとが、こうしていまは妖精となってあらわれている、と考えることもできます。それにしても不思議な雰囲気をもった小屋で、足もとが地面に定まっておらず、大地から浮遊しているようにも見えます。地に足がないということは幽霊のようなものです。月明かりのなかで見るとさぞ怖いだろうと思う反面、むしょうに闇夜に浮かぶ姿も見てみたくなるような衝動にかられます。

 実は私が小屋の写真を撮り始めたのは、この妖精のような小屋がある山奥でのできごとがきっかけです。それはハサ木の廃材を骨組みにしたほんとうに粗末な小屋で、いまにも倒れそうに傾きながら、永遠に立っているかのようにも見えてくる不思議な傾き具合から、思わず立ち止まって見入ってしまった経験があります。ただ当時は小屋などにはまったく興味がなく、「いい感じで立ってるな」と思っただけです。その後、どうしても忘れられず、2、3年ほど経てからもう一度訪ねたところ、小屋の姿はなく、場所もおぼろげで、「たしかこの県道から集落へ入るこのあたりだったはずだが」と探してみましたが、見つけることができませんでした。そのときに村のなかへ入っていき、出会ったのがこの写真の白い小屋です。その後も何回となくこの村に足を運んでいますが、最初に出会った小屋は二度と見ることができなく、私にとっては幻の小屋になっています。

小屋の旅 012 (残雪の小屋)

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12.残雪の小屋

 信州の大町にある仁科三湖のひとつ、青木湖のほとりに建つ小屋です。3月下旬に訪れたときのもので、すでにスキーシーズンも終盤で、かといって春の桜にはまだ早いといった気候的にも行楽的にも中途半端な季節で、どこを探してもあまりパッとした小屋は見当たらないと思いつつ、唯一、気になったのがこの小屋です。青木湖のキャンプ場近く、薄暗い森のなかで残雪の弱々しい照り返しを受けながら、どこか艶かしいオーラーを放っている建物で、昭和初期のサナトリウムを連想させるところもあり、「早春賦」の安曇野にピッタンコです。

 カラマツが多い信州にあって、湖畔のこの森はスギかヒノキの林で、冬に落葉しないために森のなかは年中薄暗く、このような環境で小屋に赤茶色の波トタンでも使おうものなら、さらに暗澹としてくるうえ、汚れた残雪と相まって不潔な様相さえ呈し、見るに耐えない風景になるところですが、この小屋はそのようにはなっていません。外壁の薄緑色の波トタンがやや陰気とも思える森の暗い冷気を逆手にとって、見事なまでに自身を引き立てています。

 ただ、気になるのは小屋の用途です。まだ現役で、側面には信州でよく見かけるハシゴまで付帯しています。電気も引いてあるようで、本格的な納屋造りですが、林業の作業と関係があるのでしょうか。たしかに「杣小屋」「きこり小屋」が存在した時代もあったとはいえ、現代にあって杣小屋のようなものがはたして必要なのかどうかです。とはいえ林業といえば、植林に下草刈り、枝打ちに伐採といった作業をすると思いますが、その休憩用を兼ねた道具置場として使っているのかもしれません。ただ、周囲にキャンプ場があることから、それに関係するたんなる物置小屋だったりしてもおかしくはありません。かなりかけはなれた小屋のイメージですが、小屋にはさまざまな使い道があり、特定するのが難しいところです。小屋の持ち主ですら、自分がどのような目的で建てたのか、すっかり忘れているケースもあるほどですから。

 残雪もこの小屋の特徴をなすものですが、おそらく北国で雪が好きだというひとはまずいないでしょう。雪景色はたしかに美しいものですが、その感動を帳消しにしても余りあるほどの苦痛も雪には伴い、実際に屋根雪下ろしによる転落事故、屋根からの落雪での下敷きといった悲劇があとを絶ちません。「暑中見舞い」の本来の意味は、蒸し暑い夏場をなんとか乗り切ってほしいと、命の安否をたずねる深刻な便りですが、寒い、暗い、雪という三重苦の雪国にあっては、夏に加えて冬にも「寒雪見舞い」のようなものがほしいところです。それが春近しともなると、三重苦の重石が取り除かれ、「この冬もなんとか火葬場のお世話になることもなく、無事、春を迎えることができそうだ」と、ホッと胸をなぜおろす本人やその身内も多いはずで、安堵の開放感がともなった喜びが訪れることになります。その予兆となる残雪に佇むちょっとハッピーな小屋というわけです。

小屋の旅 011 (ネコ笑う小屋)

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11.ネコ笑う小屋

 狭い谷間を切り開いた田んぼを、その後畑に転用したところにぽつんと一棟、小さな小屋が建っている孤高の風景です。周囲の雑木林が田畑まで迫って日照時間は限られ、耕作地としてはあまり優れた環境ではありません。荒廃した山をきれいに整備すれば、それでも少しは日当りがよくなるはずですが、里山が利用されなくなったことから自然のなすがままにおかれ、いまでは人間よりもイノシシにとって快適で暮らしやすいところになっています。

 最初にこの小屋を目にしたとき、なぜこのような雑然としたところに、こんなに洗練された小屋があるのか、いささか場違いな思いを抱いたもので、蝶ネクタイをして農作業をしている感じです。この小屋はまちがいなくここで建てられた建物ではなく、別のところから運ばれてこの地にやってきたものです。大きさが1.5メートル四方ほどと小さいにもかかわらず、白い漆喰壁に屋根瓦といった、たいへんゴージャスな造りで、「とりあえずモノが入ればいいや」といった畑でよく見かける物置とは、比べるまでもありません。たぶんどこかの家庭で「灰小屋(灰納屋)」として使われていたものが、その役目を終えてこの畑に来て働くことになったのだと思います。

 家の囲炉裏などから出る灰を貯蔵するところが灰小屋です。ただ全国のなかには灰の保存だけではなく、灰小屋で灰をつくったりするところもあったようですが、写真の小屋は灰の貯蔵専用です。灰には肥料になるカリウムなどが含まれ、化学肥料が普及するまでは大いに使われたもので、富山県の場合、それを貯蔵する灰小屋は、家の庭先などに建てられ、母屋から少し離して置かれるのが一般的だったようです。これは万一、灰小屋からの出火で母屋が類焼するのを防ぐためだといわれています。火が消えたと思っても火種が残っていたりする灰は、油断できない存在で、当然、小屋の内部は土壁で塗り固めた防火構造になっています。

 「婿は大名から、嫁は灰小屋から」ということわざがあり、「嫁は自分の家より低い家柄から貰うと、謙虚でよく働くために家が栄える」という意味だそうです。古い歴史があるとはいえ灰小屋は、粗末な建物というのが世間の相場だったようです。ところが写真の灰小屋はそのようなお粗末な造りとは正反対で、民家を思わせるまことに格調高いものです。これは灰小屋を建てた家が立派だったからです。庭先に建てる灰小屋は、どうしてもその家の母屋と外観的に釣り合うような意匠にするからです。そんな灰小屋は、かつて家庭で飼われていたニワトリが好きな場所で、灰のなかで好んで卵を産むことから、ニワトリ小屋と灰小屋を兼ねたユニークな小屋も存在したといいます。実は「けっこう毛だらけネコ灰だらけ」という寅さんのセリフでおなじみのネコも、温かい灰が大好きな動物で、囲炉裏のなかへ飛び込んでやけどをしたネコが多数いたほどです。そんなネコは灰小屋を見逃すはずはなく、“天国、極楽、灰小屋だ!”とばかりに格好のねぐらにしていたのではないでしょうか。ニワトリは私たちの周囲から姿を消して久しく、いまこの灰小屋、いや極楽がなくなってもっとも悲しんでいるのは、世のネコたちかもしれません。