小屋の旅 003 (留守原の小屋)

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 3.留守原の小屋
 この小屋に出会ったのはほんとうに偶然です。新潟県の松之山から津南へ抜ける道を走っていて、たまたま見つけたものです。小屋も背景の棚田も、あまりにも絵になる景色なので、「なにか、とって付けた人工的な風景だな」と思ったものです。テーマパークなのですが、突然、時代劇の世界へ飛び込んだような時間のズレがありました。松之山ではこのとき、大々的に「大地の芸術祭」というイベントをやっていて、大きなオブジェをあっちこっちで見かけたことから、この棚田も小屋とのコラボで、その芸術祭に参加しているのではないかと思ったわけです。

 ところがあとでわかったのですが、この棚田はカメラマンがたくさん訪れる絶景スポットで、全国的に有名な「留守原の棚田」だそうです。棚田といっても、見たところ、普通の棚田で、際立った特徴は見られません。一方の小屋はというと、これも茅葺きの屋根以外は何の変哲もない普通の四角い小屋です。ところが目立たないもの同士が、このように協力することで状況が一変し、おおきな魅力を放って観光産業と結びついているわけです。この棚田にもし小屋がなければ、全国に知られることもなかったでしょう。
 それともう一つは、山の中に孤立してある棚田の立地環境も大きいと思います。棚田の周囲に民家などが点在していると、見え方もちがってきたはずです。たしか、山道の森を抜けるとこつ然と見晴らしのいい棚田と小屋が現われる感じだったように記憶しています。ただ、なぜこの場所にこの小屋が必要なのかです。おそらく、集落から距離的に離れた山中にあることから察するに、昔は農作業の休憩用や簡単な作業用に使っていたのではないかと思います。しかし、いまの稲作ではこのような小屋は必要ありません。その不要になった小屋を観光資源として再利用しているわけですが、それがより高い付加価値を付けたリサイクルになっている点もすばらしいと思います。

 新潟でも豪雪地帯の十日町では、茅葺きの維持は並大抵ではないはずで、冬には小さな小屋といえども屋根雪下ろしが伴い、ひと冬に何回もこの山中の小屋まで来て作業をしないと残すことができなかったはずです。棚田と同じく、小屋も大変な労力の積み重ねで今日まで受け継がれてきているわけですが、そのような重苦しい空気を吹き飛ばしているのが“留守原”という地名です。留守の意味は「主人や家人が外出している間 、その家を守ること」とされ、「留守番」「留守居」「留守職」といった言葉もあります。それが外出して「不在」の意味にも転化して使われるようになったそうです。このような「留守」という言葉を、およそひとがまったく住んでいない山奥の地名に使っているところに愉快なおもしろさがあって、一度聞くと忘れられない名前になっています。いや、これは人間が留守という意味ではないのかもしれません。村人がある日この山奥へやって来たが、いつも出迎えてくれるタヌキやキツネなどの動物たちが、この日は留守だったことから、留守原になったとも考えられます。どちらかというと、もっちゃりとしがちな茅葺きの建物にあって、この小屋はすっきりと、いい感じです。

小屋の旅 002 (光の小屋)

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2.光の小屋

 能登半島は日本海に面した国道沿いの「光の小屋」です。土曜日の天気のいい昼過ぎに撮った写真ですが、休日ともなるとこのようなバイクでツーリングを楽しむ姿をよく見かけます。海岸線を縫うように続く道は、ドライブを楽しむにはいいコースで、気分転換にはもってこいのようです。ことに富山県能登とのあいだに自動車専用道路が開通したおかげで、海沿いのこの国道は、走るクルマが極端に減って、よそ見しながらのんびりドライブが楽しめます。

 実はこの国道沿いにあった小屋は2、3年前に解体され、いまは跡形もありません。おそらく、建て主が高齢になって畑の仕事ができなくなり、それに伴って放置、解体されたとみられます。小屋を建てた主が存命かどうかは知りませんが、「もったいない」という節約の精神が、このような小屋のかたちにしたのでしょう。気持ちは十分にわかります。家の建て替えなどで、まだ使える古い窓やドアがたくさんあって、それを使いたかったのでしょう。ただ、小屋の主にお子さんなどがおられたりすると、親と子とでは育った時代が大きく異なるので、このような一見して粗末なものは、「世間体もわるい」となって、ただちに壊されるのが一般的です。

 この小屋のユニークさは、力強いファサードに尽きます。片流れの屋根に、スピーカーのホーンのような末広がりの正面にし、そこに大胆にも3枚の窓と2枚の扉を張りつけて採光を確保しています。小屋の主は、よほど太陽の明かりを正面から内部へ導きたかったとみえます。物置といえども、明かり窓のひとつもないと、室内は昼でも真っ暗で、使い勝手はよくありませんから。ただ、普通は小さな窓を設けるとか、ドアを開けっ放しにし、外から勝手に入ってくる明かりで用を足したりするものです。この小屋は、その明かりへの執着が尋常ではなく、大変に過激的です。小屋の方角からして、道路側ではなく、朝から日差しがたっぷり差し込むやや東側に振った南方向に向けています。これほど単刀直入に“光り願望”の小屋も希です。

 よく、家を建てるときに「あなたはどのようなマイホームにしたいですか」といったアンケート調査があります。圧倒的に多いのが「明るいマイホーム」で、これは今も昔も変わることがなく、その“明るい”という意味には、物理的な光量の問題のほかに、家族関係とか近隣関係、経済的など、さまざまな願いが込められています。パナソニックの前身、松下電器が「明るいナショナル 明るいナショナル ラジオ テレビ 何でも」と、テレビCMを盛んに流していた時代がありますが、「光の小屋」とそのCMとが、どこかオーバーラップするところがありますね。

小屋の旅 001 (草園の小屋)

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 1.草園の小屋
 これは能登半島にある小屋です。これぐらい小さい建物だと、施工の簡単な片流れの屋根にしそうですが、これはきっちりとした切妻屋根のフォーマルな装いになっています。手前の妻側が建物後部で、玄関がある入り口は反対側に面しています。ということで、写真では後ろ向きの姿を見ていることになります。
                   
 地形的には川と山とにはさまれた日当りのあまりよくない土地に建っています。最初にこの小屋を見たとき、畑作用に造った小屋かと思ったのですが、電気を引き込んだ跡があることや、小屋の大きさなどから、揚水用のポンプ小屋の可能性も考えられます。川から水をポンプアップしていたのであれば、そのための配管なども残っているはずですが、土台部分が草に隠れてよくわかりません。
                   
 屋根の朽ち具合いからみると、小屋が使われなくなってもう何年も経っているようです。それでも全体的にまだしっかりと立っていて、姿かたちに乱れたところがまったくありません。頭部にのせた飾りのようなフジ植物が特徴的ですが、このフジ飾りで盛り上がったところは、近くの電柱から電気を引き込んだ支柱の跡のようです。このままフジのツルを放置すると、やがて小屋全体に広がっていくことになるでしょう。ツルは強いですから、そのうち小屋をおおい尽くしてしまいます。それにしても小さな小屋でも、切妻屋根にすると“馬子にも衣装”で、朽ち果てていく姿でも立派に見えます。
                   
 小屋にもし命があるとすれば、自分が用済みになって放置されていることを知ってか知らずか、ひたすらに現在を生きているといったところでしょうか。暗さ、寂しさというものがありません。雑草にとりかこまれながら幸せそうに、ただ立っている姿がいいですね。雑草というのは、人間との出会いの唯一の接点は草刈り、除草しかありませんから、人間から見放された地で、雑草も捨てられた小屋も、のびのびと暮しているようです。美しいですね。