小屋の旅 006 (アド小屋)

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6.アド小屋
 写真は漁師が使っていた「アド小屋」です。復元されたもので、風呂敷のような四角い網を水中に沈め、魚がその網の上にやってきたところを見計らって引き上げる仕掛けです。漁師は小屋のなかで網を上げ下げし、漁はおもに夜間に行われていたようです。富山県氷見市の十二町潟では、1950年代までアド漁が普通に見られ、潟に2棟ほどあったといいます。写真の小屋は背後から撮ったものですが、これは実際に漁をするための小屋ではなく、あくまでも観光用です。鳥取県東郷湖の「四手網」や奥能登の「ボラ待ちやぐら」も、これと同じ漁法のものです。
 
 “アド”とは、「網処(あみどころ)」という言葉を略したものだそうです。水底が少し深く、魚が集まってくるところを地元で「アド」といっていたようですが、そこに小屋を設置したのでしょう。そしてこのような作業小屋は、漁師が自分であれこれ工夫をしながらつくっていたはずです。そこに1棟1棟につくり手の個性や味わいがにじみでて、潟に人間味と生活感ある風景をつくりだしていたのではないかと想像できます。まさに小屋風景の極みで、江戸時代には9棟ほどが十二町潟に点在していたそうです。小屋の広さは1間(約1.8m)四方、網は2間半~3間半四方の大きさで、ボラやフナ、コイ、ウナギなどを獲っていたようです。そのような漁の様子は、小屋を見ているだけでも十分に思い描くことができますが、せっかくここまでアド小屋を復活させたのであれば、ただ置いておくだけではもったいないような気もします。実際に小屋を使って往時のアド漁を再現したり、観光客に漁を体験させるなど、積極的な活用があってもいいのではないでしょうか。
 
 小屋のバックに見える吊り橋は、1995年に造られた「十二町潟横断橋」です。歩行者専用ですが、景観的にはなかなかいい橋だと思います。この橋のデザインはアド小屋をイメージしたものだといわれていますが、橋の真ん中あたりが太鼓橋のように少し高くなっていて、そこから眼下に潟を一望できます。この眺めは万葉集の好きな人には喜ばれると思います。実は、奈良時代越中の国守としてやって来た万葉の歌人大伴家持が舟遊びをして歌を詠んだ「布施の湖」が、現在唯一、その姿を残しているのがこの十二町潟だからです。昔はこの潟一帯がすべて布施の湖だったところで、その後干拓が進んで現在はここしかありません。
 
 アド小屋のなかに入ることも可能です。室内はなにもないがらんどうで、狭い入口と網を操る前方の一面だけが開いていて、外の風景とつながっています。そこから唯一潟をのぞくことができるわけですが、その狭い空間に座ってみると、ひとりで佇むには心地よいタイト感があってこころがなごみます。構造材に天然素材の丸太や竹、それに壁にカヤをめぐらしていることもあってか、狭くても圧迫感がありません。惜しまれるのは、小屋のなかから見える外の風景が雑然としていることです。この窓越しのような切り取った額縁風景は、小屋散策のいわばクライマックスなので、とことんこだわるべきで、計算ずくでもいいから、十二町潟を強烈に印象づける景色、ドラマをみせてほしかったものです。とはいえ、この茶室のような空間で、川面を眺めながらお茶かコーヒーでも楽しみ、休んでいくのもいいかもしれません。
 
 

 

小屋の旅 005 (移ろう小屋)

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5.移ろう小屋
 小諸市だったか東御市だったか忘れましたが、とにかく長野県で見つけた小屋です。なだらかな丘陵地にご当地名産のソバが植えられ、白い花がいまが盛りとばかりに咲き誇っています、という信州らしい名調子の風景です。9月下旬の旅で出会ったもので、手前のそば畑と小屋とは関係があるのかないのか、実際のところよくわかりません。
  この小屋の風景になんとなくこころひかれるのは、不自然さや気取ったところがないためでしょう。農家が畑作業の必要にかられて、手元にある材料を寄せ集めてつくりはじめ、いつのまにかこのようなかたちになった、といった佇まいです。機能性から生まれた民芸的な美しさというと情緒的になりますが、見ていても飽きがこないおだやかなところがあります。
  全体を見ると、いっけん雑な造りに見えます。実際におおざっぱなもので、建て方などはとても荒っぽく、真ん中の棟の窓をひとつとっても、ただ廃品のガラス戸を並べただけで、上部が足らないために、古い板を張りつけて補っています。そのような継ぎ当てすら絵になっていますが、向かって右側の増設棟の屋根も、なぜか少し右肩下がりになっています。これなども意図的にこうしたものではもちろんありません。だけど小屋全体のバランスをみたときに、実に絶妙というか、いい外観になっています。
  この小屋は、これで完成といったたぐいの建物ではないようです。畑で作る農作物の内容に合わせて、時間とともにかたちや機能を変えていく小屋のような印象を受けます。水の流れのように、状況に合わせて常に変容していく小屋ですね。建築の専門家とは無縁な建物で、小屋の持ち主の手作りなわけですが、その本人はおそらく、小屋を造っているという思いはあまりなく、野菜でも育てるように、無意識のうちに小屋も育てているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

小屋の旅 004 (雑草の玉手箱)

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 4.雑草の玉手箱
 石川県七尾市の田んぼのアゼに建つ小屋です。「建っている」というよりアゼに「置いてある」といった感じでしょうか。付近に畑らしいものはなく、稲作ではこんなに小さな小屋は役に立たないはずなので、なんに使っているのでしょうか、ちょっと用途不明な謎があるところがおもしろいですね。アゼはけっこう広くとられているので、かつてはここにナスや豆など、野菜類でも植えていたのかもしれません。田んぼのアゼを利用して野菜をつくる習慣は古くからありますから、そのための物置小屋だった、といったことも考えられます。

 小屋は、濃い緑の扉がファサードの半分ほどを占め、白い壁とあいまって、小気味のよいデザインになっています。きわめて小さな部類の建物ですが、簡潔で力強いデザインのおかげで、セイダカアワダチソウやススキなど、押し寄せる雑草の大群にも動じるところがなく、負けていません。正面のひさしの軒先には、細長いホロの切れ端のようなものがぶら下がっています。これは風雨によって雨水が内部に入るのを防ぐためのものと思われますが、小屋のアクセントにもなっていて、表情を豊かにしています。それと、無造作に立て掛けてある垂木の廃材もじゃまな存在ではなく、脇役を上手に演じて主役を引き立てています。ただ、このような短い垂木がなぜここにあるのか、という疑問は残ります。小屋の持ち主は、デザインや意匠などはまったく考えていないと思いますが、それが結果的にいい風景をつくりだしているわけですね。

 そして驚くのが、小屋を取り囲むセイダカアワダチソウです。一時期、花粉アレルギーの健康被害で騒がれたことがある植物ですが、これはぬれぎぬだそうです。スギ花粉のような風で花粉を飛ばす風媒花ではなく、昆虫によって運ばれる虫媒花なので、花粉症や喘息などとは関係ないということのようです。とはいえ、「日本の侵略的外来種ワースト100」にも選ばれ、どぎつい黄色と旺盛な繁殖力のセイダカアワダチソウは、どちらかというと侵略的で凶暴なイメージがあります。そのような荒々しい植物と、かわいい小屋との組み合わせは、僕は僕、君は君で、お互いにケンカをしているようなふうでもなく、いい感じです。

 この写真を撮ったあと、1年ほど経てから小屋へ行ってみましたが、建物がかなり傷んでいるようでした。風雨の強い海の近くにあることから、傷むのも早いのかもしれません。また、小屋がもとあった場所から20メートルほど東に移動し、向きも90度ほど振られて道路に面して建っていたのも驚きです。場所や向きを変えてみたところで、この小屋の使用上の問題にそれほど影響があるとは思いませんが、小屋の持ち主が自分の気晴らし、気分転換のために小屋の配置を変えたのではないか、と勘ぐりたくもなります。また、前回とは全体の雰囲気が少し違っていた点も気になりました。生気がないというか、やつれたところがあり、持ち主の小屋への気持ちが少し薄れてきたのかなといった印象でした。ぜひ、また一度、訪ねてみたいと思います。

小屋の旅 003 (留守原の小屋)

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 3.留守原の小屋
 この小屋に出会ったのはほんとうに偶然です。新潟県の松之山から津南へ抜ける道を走っていて、たまたま見つけたものです。小屋も背景の棚田も、あまりにも絵になる景色なので、「なにか、とって付けた人工的な風景だな」と思ったものです。テーマパークなのですが、突然、時代劇の世界へ飛び込んだような時間のズレがありました。松之山ではこのとき、大々的に「大地の芸術祭」というイベントをやっていて、大きなオブジェをあっちこっちで見かけたことから、この棚田も小屋とのコラボで、その芸術祭に参加しているのではないかと思ったわけです。

 ところがあとでわかったのですが、この棚田はカメラマンがたくさん訪れる絶景スポットで、全国的に有名な「留守原の棚田」だそうです。棚田といっても、見たところ、普通の棚田で、際立った特徴は見られません。一方の小屋はというと、これも茅葺きの屋根以外は何の変哲もない普通の四角い小屋です。ところが目立たないもの同士が、このように協力することで状況が一変し、おおきな魅力を放って観光産業と結びついているわけです。この棚田にもし小屋がなければ、全国に知られることもなかったでしょう。
 それともう一つは、山の中に孤立してある棚田の立地環境も大きいと思います。棚田の周囲に民家などが点在していると、見え方もちがってきたはずです。たしか、山道の森を抜けるとこつ然と見晴らしのいい棚田と小屋が現われる感じだったように記憶しています。ただ、なぜこの場所にこの小屋が必要なのかです。おそらく、集落から距離的に離れた山中にあることから察するに、昔は農作業の休憩用や簡単な作業用に使っていたのではないかと思います。しかし、いまの稲作ではこのような小屋は必要ありません。その不要になった小屋を観光資源として再利用しているわけですが、それがより高い付加価値を付けたリサイクルになっている点もすばらしいと思います。

 新潟でも豪雪地帯の十日町では、茅葺きの維持は並大抵ではないはずで、冬には小さな小屋といえども屋根雪下ろしが伴い、ひと冬に何回もこの山中の小屋まで来て作業をしないと残すことができなかったはずです。棚田と同じく、小屋も大変な労力の積み重ねで今日まで受け継がれてきているわけですが、そのような重苦しい空気を吹き飛ばしているのが“留守原”という地名です。留守の意味は「主人や家人が外出している間 、その家を守ること」とされ、「留守番」「留守居」「留守職」といった言葉もあります。それが外出して「不在」の意味にも転化して使われるようになったそうです。このような「留守」という言葉を、およそひとがまったく住んでいない山奥の地名に使っているところに愉快なおもしろさがあって、一度聞くと忘れられない名前になっています。いや、これは人間が留守という意味ではないのかもしれません。村人がある日この山奥へやって来たが、いつも出迎えてくれるタヌキやキツネなどの動物たちが、この日は留守だったことから、留守原になったとも考えられます。どちらかというと、もっちゃりとしがちな茅葺きの建物にあって、この小屋はすっきりと、いい感じです。

小屋の旅 002 (光の小屋)

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2.光の小屋

 能登半島は日本海に面した国道沿いの「光の小屋」です。土曜日の天気のいい昼過ぎに撮った写真ですが、休日ともなるとこのようなバイクでツーリングを楽しむ姿をよく見かけます。海岸線を縫うように続く道は、ドライブを楽しむにはいいコースで、気分転換にはもってこいのようです。ことに富山県能登とのあいだに自動車専用道路が開通したおかげで、海沿いのこの国道は、走るクルマが極端に減って、よそ見しながらのんびりドライブが楽しめます。

 実はこの国道沿いにあった小屋は2、3年前に解体され、いまは跡形もありません。おそらく、建て主が高齢になって畑の仕事ができなくなり、それに伴って放置、解体されたとみられます。小屋を建てた主が存命かどうかは知りませんが、「もったいない」という節約の精神が、このような小屋のかたちにしたのでしょう。気持ちは十分にわかります。家の建て替えなどで、まだ使える古い窓やドアがたくさんあって、それを使いたかったのでしょう。ただ、小屋の主にお子さんなどがおられたりすると、親と子とでは育った時代が大きく異なるので、このような一見して粗末なものは、「世間体もわるい」となって、ただちに壊されるのが一般的です。

 この小屋のユニークさは、力強いファサードに尽きます。片流れの屋根に、スピーカーのホーンのような末広がりの正面にし、そこに大胆にも3枚の窓と2枚の扉を張りつけて採光を確保しています。小屋の主は、よほど太陽の明かりを正面から内部へ導きたかったとみえます。物置といえども、明かり窓のひとつもないと、室内は昼でも真っ暗で、使い勝手はよくありませんから。ただ、普通は小さな窓を設けるとか、ドアを開けっ放しにし、外から勝手に入ってくる明かりで用を足したりするものです。この小屋は、その明かりへの執着が尋常ではなく、大変に過激的です。小屋の方角からして、道路側ではなく、朝から日差しがたっぷり差し込むやや東側に振った南方向に向けています。これほど単刀直入に“光り願望”の小屋も希です。

 よく、家を建てるときに「あなたはどのようなマイホームにしたいですか」といったアンケート調査があります。圧倒的に多いのが「明るいマイホーム」で、これは今も昔も変わることがなく、その“明るい”という意味には、物理的な光量の問題のほかに、家族関係とか近隣関係、経済的など、さまざまな願いが込められています。パナソニックの前身、松下電器が「明るいナショナル 明るいナショナル ラジオ テレビ 何でも」と、テレビCMを盛んに流していた時代がありますが、「光の小屋」とそのCMとが、どこかオーバーラップするところがありますね。

小屋の旅 001 (草園の小屋)

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 1.草園の小屋
 これは能登半島にある小屋です。これぐらい小さい建物だと、施工の簡単な片流れの屋根にしそうですが、これはきっちりとした切妻屋根のフォーマルな装いになっています。手前の妻側が建物後部で、玄関がある入り口は反対側に面しています。ということで、写真では後ろ向きの姿を見ていることになります。
                   
 地形的には川と山とにはさまれた日当りのあまりよくない土地に建っています。最初にこの小屋を見たとき、畑作用に造った小屋かと思ったのですが、電気を引き込んだ跡があることや、小屋の大きさなどから、揚水用のポンプ小屋の可能性も考えられます。川から水をポンプアップしていたのであれば、そのための配管なども残っているはずですが、土台部分が草に隠れてよくわかりません。
                   
 屋根の朽ち具合いからみると、小屋が使われなくなってもう何年も経っているようです。それでも全体的にまだしっかりと立っていて、姿かたちに乱れたところがまったくありません。頭部にのせた飾りのようなフジ植物が特徴的ですが、このフジ飾りで盛り上がったところは、近くの電柱から電気を引き込んだ支柱の跡のようです。このままフジのツルを放置すると、やがて小屋全体に広がっていくことになるでしょう。ツルは強いですから、そのうち小屋をおおい尽くしてしまいます。それにしても小さな小屋でも、切妻屋根にすると“馬子にも衣装”で、朽ち果てていく姿でも立派に見えます。
                   
 小屋にもし命があるとすれば、自分が用済みになって放置されていることを知ってか知らずか、ひたすらに現在を生きているといったところでしょうか。暗さ、寂しさというものがありません。雑草にとりかこまれながら幸せそうに、ただ立っている姿がいいですね。雑草というのは、人間との出会いの唯一の接点は草刈り、除草しかありませんから、人間から見放された地で、雑草も捨てられた小屋も、のびのびと暮しているようです。美しいですね。