小屋の旅 039(小屋の情景)

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39.小屋の情景
 ホームセンターなどで売られている波トタンを使って建てた小屋は、いずれ、遅かれ早かれ経年劣化によってサビが浮き、やがて茶褐色におおわれてきます。いわば自然の成りゆきで、なんら変わらないものよりは移ろいがあって、むしろ親しみがもてるかもしれません。この小屋は、外壁の半分以上をそのサビが占め、ところどころに腐食による穴も見えますが、不思議と、それほど「朽ちた」「汚れた」「貧しい」といった、ネガティブな印象は受けません。むしろ、静かでおだやかな雰囲気を湛え、あたたかいトーンに包まれています。“やさしい小屋”とでも形容すべきか、近くまでいったらまた立ち寄ってみるか、と思わせるところがあります。

 

 小屋が建つ場所は、能登半島でもカキの養殖で知られる七尾湾からほど近い、広い田んぼの片隅で、あたりに建物らしいものはなにもありません。そんな閑散とした寂しいところにぽつんと一棟だけ建っています。ただ、まったくなにもないところ、といえばウソになります。太陽の日差しあり、風あり、雨ありで、冬は雪も降り、暑さ寒さもやってきます。カラスやスズメといったおなじみの野鳥に、トンボ、カエル、蝶など、様々な生き物たちもこの小屋を訪れ、ネズミやヘビ、トカゲ、ムカデなどは、きっとここを常宿にしているにちがいありません。かなりにぎやかな小屋といってもかまわないと思いますが、もちろん主人公のオーナーも人間代表として頻繁に訪れて耕作に励みながら、これらの生き物たちとケンカをしながら仲良く、交流を深めていることでしょう。都心の繁華街とはまたちがった意味での騒々しさ、活気があって、オーナーにとっては、なにかと不満が多い現実の自分から抜け出すことができる唯一の場所、お一人様ワンダーランドではないでしょうか。

 

 海に近い建物は、塩害のおそれから外壁は潮風に強いスギ板を使うのが一般的ですが、ここでは波トタンが使われています。しかも、どこかでさんざん使ったあとの廃材15枚ほどを巧みに張り合わせています。市販のトタンパネルなら4、5枚もあれば事足りるところですが、このへんがオーナーのこだわり、人柄でしょう。サビて穴のあいたトタンまでも上手に使いこなしています。小屋の機能性を考えると、この程度の穴などはむしろ室内の風通しをよくし、建物や収納物にいい影響を与えるので歓迎すべきものです。また、軒のところのつぎはぎの処理ひとつとっても、これまた繊細で細やかとしかいいようがありません。モノをいとおしむようにつくりあげたといったらいいのか、そのような気持ちが小屋全体からにじみでています。このような価値観が日本に存在していたことすら思い出せない遠くにきてしまった現代の消費社会では、まさに驚異です。土台を支える礎石も、どこから拾ってきたものか、大きめの石を用いて見事な基礎に仕上げ、サビたトタンと相まって風流なおもむきすら感じます。その基礎まわりに庭木のようなものが添えられていますが、これは自然に生えたものではなく、オーナーが「ここに植えよう」という強い意思にもとづいて人工的に植栽されたものです。小屋の維持管理も完璧といってよいほどです。いっけん、粗末でむさ苦しい小屋に見えますが、小ぎれいで折り目正しい、なかなかすばらしい小屋の情景だと思います。

 

 実は、最初に訪れてから数年後に再びこの小屋を訪ねてみたのですが、これが驚いたことに、建物はまちがいなく以前と同じで、場所もこれまた相違なく、周辺の環境を含めた様子も、前回訪れたときと変わりがありません。殺伐として、冬などは寒々とした枯れ野が広がり…、といった想像力が自動的に働くところなども、相変わらずです。ただ、小屋の外観だけが劇的に変化し、外壁や屋根トタンが、今風に新しく着せ替えられ、建物は別物になっています。柱や梁、土台といった骨組みは、以前のものを壊さず流用しているようですが、これでは普通のありふれた小屋です。どうしてリニューアルしたのだろうかと思ったりもしましたが、親から子へと代が変わったとしか考えられません。野菜などをつくるために小屋は必要だったのでしょう。名残惜しい、もったいないという気もしますが、潔く消え去るのも「またよし」といったところでしょうか。

 

小屋の旅 038(風と小屋)

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38.風と小屋
 氷見市高岡市にまたがる海岸沿いは、砂地の畑が広がっていて、昔から盛んに野菜や果物がつくられています。ということは農業用の小屋の一大集積地になっていてもおかしくありません。このへんは、かつて海水浴でお世話になったところなので、状況はあるていど察しはつくものの、小屋は電柱同様、意識して見て歩かないかぎり、目に入ってきません。どんな小屋がどこに、といったことはまったく想像ができませんが、だからこそ一方で、期待も大きすぎるほどにふくらむことになります。畑作一本の土地柄ということは、小屋の数に加えて、新旧入れ乱れた歴史的な厚みも期待でき、小屋の理想郷として、大いに発展しているのではないだろうか、と思いをめぐらすほどに、「ああ!なぜ、ここへ真っ先に向かわなかったのか」といった、後悔がつのります。

 

 さっそくカメラを手に理想郷へ出かけてみると、たしかに小屋はあるわ、あるわです。どれから先に撮ってやろうかといった感じですが、いざ撮りだすとこれがなかなか難しいわけです。たくさんあるのは小屋だけではなく、新しく建てられた住宅などが、小屋に負けず劣らずといった勢いで繁殖し、広大な畑作地帯は立派な住宅地に変貌しつつあります。野菜も家もよく育つ土地柄なのでしょうか、どの小屋も背景に家が入ってじゃまをし、うまく撮らせてくれません。結局、まともに撮れたのは2棟ぐらいで、そのなかの1棟がこの細長いタイプの小屋です。田んぼの稲を干すハサギ用の支柱や竹竿を収納する小屋と似ていますが、ここは畑作なのでハサギは必要ないはずです。ただ、小屋の並びに何本か等間隔に木の柱が立っているところをみると、どうやら防風用ネットを張る支柱をはじめ、畑に必要な諸々を収めておく小屋のようです。このへんの畑は白砂青松の地で、風が吹くと盛大に砂塵が舞い、防風ネットは欠かせないのだと思います。

 

 たかが小屋とはいえ、畑のどこに建てるかとなると、あれこれ思いをめぐらすのではないでしょうか。ここでは、碁盤の目のように区画された畑の左隅に建っています。使い勝手や土地の有効利用から、小屋を建てるときの位置は、現在地か、右側の畑隅に寄せて建てるかの二択になりますが、どちらにしても、畑の一部に建物による日陰が生じます。これが野菜づくりではちょっとした問題で、よく「朝日が当たらないとうまく育たない」といわれ、光合成の関係で、夕日よりも朝日が生育に影響するとされます。そんなこともあって、畑の主ならだれでも、午前中に自分の畑に日陰をつくりたくないはずです。で、この小屋をみると、もし右側の畑に寄せて建てた場合、午前中は自分の畑に建物の陰を落としてしまいます。それを嫌って、現在の左隅にもってきたといったことが推測できます。お隣のネギさんには、少し辛抱をお願いして、というわけです。しかし、どっこいネギ畑さんのほうも負けていません。ネギの畝に沿って立つネット用の柱ですが、小屋の並びよりも少しネギ畑側にずれて立っています。ということは、この柱を立てたのは小屋の主ではなく、ネギ畑の主人ではないのか、そして残り半分ほどは、隣の細長い小屋をネット代わりに風除けに利用させてもらって、というものです。これもまったくの憶測ですが、隣同士、それぞれに思惑が交差する畑の境界線です。ただひとつ気になるのは、ハサギ柱を転用したセンチメンタルな木の柱です。このような、いささか時代がかったものは、出荷用ネギに精をだす主人の好みというより、むしろ小屋の主の肌合いに近いのではないか。もしそうだとして、小屋の主人が立てた柱だとすると、話は180度変わってきます。つまり、ネギ畑方向からの風を避ける楯にするために現在地に小屋を建て、残りはネットを張って防ごうとした、というものです。こちらのほうが、なんとなく説得力があるように思います。

 

 本来はもう少し正方形に近いほうが、小屋としての使い勝手はよく、汎用性も高いはずです。細長いトンネル型になったのは、支柱や竹竿などの収納に加えて、素人でも組み立てやすいかたちのためではないかと思います。特徴的なのが屋根と壁の接合部で、トタンを曲げてうまくつなぎあわせています。このグレーの横帯と、明かりとりの半透明の波板によって、夕日に染まった鮮烈すぎる外壁におもむきをあたえ、落ち着いたフォルムに軟着陸させています。そして、小屋の入口にはコスモスが咲き、おそらく夫婦で畑をされていると思われますが、ケンカをしながら仲睦まじくといった、他人の夫婦仲までなんとなくみえてくるおだやかな光景です。ただ、小屋そのものに華やかさや、翼を広げたようなのびやかなところはなく、無口でシェルターのように身構えたところに、持ち主の性格がよく出ているように思います。このような住宅が混在する中途半端な土地より、もっと不毛の大地にあったほうが、ふさわしいような気もします。

小屋の旅 037(小屋の冒険)

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37.小屋の冒険

 金沢方面からの帰途、いつもとちがうルートを通ろうと、津幡からかほく市の山奥に入り、羽咋市に抜けて戻ってきたときに目にした小屋です。奥能登はなんとなく秘境的なムードもあってか、いってみたい気にもなりますが、能登半島でも内灘町から続くかほく市宝達志水町に至る半島の付け根エリアは、これまたなんとなくですが、ぼんやりとしたイメージしかなく、まったく足を運んだことがありません。けれど、その“ぼんやり”というのは、私にとっては未知のところを意味し、なおかつ「“ぼんやり、うっかり、笑ってごまかす”は、オレの三大得意技じゃないか」ということを思いだし、行き当たりばったりの帰路となったわけです。とにかく暑い日で、小屋も少なく、腹はすくわで、ああ!“さんざん”な土地に迷い込んだものだと思いながら、なんでもいいから撮ってやれ、とカメラを向けたのがこの小屋です。

 

 どこかの会社の壁際で、収納役として働いていたオフィス用キャビネットが、なにを思ったのか、平和で退屈な職場を離れて畑違いの本物の畑にやって来た、そんな唐突でノウテンキな雰囲気の小屋です。畑の珍客を歓迎しているのでしょうか、青空と白い雲、それに大地に根を張った雑草たちも、どこかはつらつとしています。もともと表情に欠けるというよりも、どんな環境にも適応できるように意図的にアイデンティティーを消された工業製品の小屋です。しかし、そんなことではへこたれず、すくっと立ち上がって胸を張り、のっぺりとした表情は隠しようもありませんが、なかなか凛々しい姿をしています。

 

 ところがこのキャビネット小屋、オフィス用ではなく、どうやら軒下などに置かれている小型の物置のようです。一応、防水や防サビなどは施されているものの、基本的に屋内用とさほどかわらなく、自動販売機のような設置方法が基本だと思います。強風や豪雨、大雪といったものにまともに遭うとひとたまりもありません。いわば小舟で大海へ乗りだしたようなもので、小屋の前途を考えると、明るい要素などひとつも見当たりませんが、それはこちらの勝手な思い込みで、本人はまたちがうのかもしれません。からだは小さいが肝っ玉は大きい、勇気あるやっちゃ、あっぱれなやっちゃ、とほめてやるべきか、たんなるバカか、「そんなことはどちらでもいいでしょう」といっているようにも見え、この小屋、やっぱり大物なのでしょうか。

 

 小屋を見ていると、昔、テレビで放送していた木下恵介監督の映画「カルメン故郷に帰る」を思いだします。健康的なリリィ・カルメン役を演じる高峰秀子が高原で踊りまくるシーンが強烈で、あの天真爛漫な踊りの場面だけがいまだに脳裏に焼きついています。おそらく死ぬまで私の頭から離れてくれそうになく、一生、この踊りと付き合っていくことになる予感がします。ただこの映画、あの意気揚々とふるさとに帰ってきた喜びから、高原で自慢の踊りを披露する以外、ストーリーや内容はまったく思い出すことができません。“筋書きのないドラマ”といえば野球ですが、「カルメン故郷に帰る」などをみると、映画も筋書きなどは積極的にないほうが、むしろいいのではないかと思えてきます。社会常識を軽々と突き抜けたリリィ・カルメンのように、小屋もうしろに同志のコンポストを従えて、どこまでも前向きにオレー!です。

小屋の旅 036(休息と小屋)

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36.休息と小屋

 氷見市の山間部にある小屋ですが、すでに使用されてなく、棚田を飾るモニュメントになっています。石川県は能登との県境の山奥に一カ所だけぽつんと残っている棚田で、よくこんな森のなかに水田を造ろうと思い立ったものだと、感心させられるような場所にあります。棚田の周囲はスギ林で、この田からいちばん近い人家まで4、5キロほどもあります。かつてはこの付近にかなりの棚田があったようですが、それらは早々とスギ林などに転作されていくなかで、この一画だけが孤高の水田として稲作を守り続けています。半分朽ちかけながら立っている小屋は、そんな山中での稲作の苦労を忘れようとしているかのようにもみえます。

 

 棚田のご主人とは少し話をしたのですが、会社を定年になったので、これからは田んぼ一本に専念できるとやる気十分で、知り合いから譲り受けたこの棚田の広さは1町歩ほどあるそうです。上から下まで6枚の田が階段状にきれいに弧を描きながら連なり、しばらく眺めていても飽きることがありません。田んぼ越しに見える小屋は、その6段のなかほどに建っています。小屋の上のほうに3枚、下に3枚で、真ん中のアゼのなかに1枚隠れていますが、ほかにも小さな田が何枚かつぶされています。ご主人の話では、自宅から離れていることから、雨露をしのぐ休憩用に小屋が必要だったそうです。軽トラのなかった時代は、家と棚田との行き来だけでもひと仕事で、朝、家を出ると、夕方まで帰れなかったはずです。会社勤めも似たようなものですが、農作業に軽トラが使えるようになると、今度は世の中がせわしなくなり、山のなかでひとり仙人のような野良仕事をやっている余裕がなくなるなど、いろいろ苦労があったはずです。小さくて粗末な建物ですが、この小屋のおかげで、今日まで続けてこられたところがあるのではないでしょうか。

 

 小屋の骨組みは健在ですが、屋根も外壁もボロボロ、荒れ放題です。ただ、屋根に野路板を張り、そのうえに波トタンをかぶせた丁寧な造りになっています。物置などの小屋は普通、垂木のうえに波トタンを直接張って事足りるわけで、屋根に板を1枚はさんだのは、休息のための環境を考えてのことだろうと思います。屋根トタン1枚だけでは、雨が降ると音がうるさくてなかにいられませんし、太陽の熱で夏は蒸し風呂状態になります。それを野路板を緩衝材にしてさえぎりたかったのでしょう。現在は不要になったとはいえ、この小屋、いまも棚田全体になんともいえない雰囲気を与え、棚田の景観としては、小屋があるのとないのでは雲泥の差です。設置場所についてはご主人に聞き忘れましたが、実用性だけで考えると、道が通っているこちら側のほうが便利なわけで、ただ、そうすると棚田との景観がもうひとつということになります。ご主人が熟慮を重ねて立地場所を考えたとは思いませんが、眺めもある程度考慮して、この場所にしたのではないかと思います。問題は今後の小屋の行く末です。このまま朽ちていくのを放置しておく、あるいは、屋根と外壁だけでも補修して残す、いっそのこと解体するなど、いろいろな選択肢はありますが、ご主人の思いはどうなのでしょうか。今年も豊作、秋の空です。

 

 アゼは漢字で“田の半分”、「畔」とも書きます。この棚田のアゼは、見てのとおり、その「畔」の字を見事に体現しています。ご主人が「アゼを入れて1町歩」と、田の面積はアゼを含めた広さであるとをわざわざ断っていましたが、棚田全体のかなりの部分を、米がまったく獲れないアゼで占められています。田に欠かせないアゼは、また顔のヒゲと同じようなもので、立派なものほど手がかかり、その管理は一にも二にも草刈りとなります。ご主人によると、暑い盛りにひとりで、棚田の上から下に向かって草を刈っていくそうです。やっとの思いで下の田まで刈り終え、顔の汗をふきふき上のほうを見上げると、いちばん上のアゼの雑草たちが、「早く刈ってくれ、刈ってくれ」と、ご主人を呼ぶのだそうです。結局、朝から晩まで草に追いまくられる毎日となるわけです。そのかいもあってか、見応えのある堂々としたアゼ、いや棚田が維持されていますが、どうも、そのもてる労力と精魂の大半を捧げているのは、収穫が間近に迫った田んぼの稲というよりも、アゼ草のほうではないかと思えてきたりもする、そんなご主人を労働を支えてきたのが、この小屋ということになります。

小屋の旅 035(秘境の小屋)

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35.秘境の小屋
 新潟県と長野県にまたがる豪雪地帯の秘境、秋山郷で見かけた小屋で、“納屋”とも“蔵”とも呼ばれる、いわゆる物置です。窓はあまり広くなく、また、数もそれほど多くありません。窓の少なさはコスト削減の意図もあるでしょうが、モノを保管する用途を考えてのことだろうと思います。土蔵のような重く、古くさいところがなく、黒とブルーのコントラストが軽快で気高く、しかもモダンな印象を受けます。夏も8月下旬というのに、小屋の周囲にはアジサイの花が真っ盛りで、ほかにも赤,白、黄と、いろんな花々が咲き、それらに囲まれて幸せそうな表情を浮かべています。

 

 建物妻側の壁に2枚の車輪と、なぜか「火気厳禁」の看板、それに蜂の巣がぶらさがっています。大八車の車輪が土蔵の壁などに立て掛けてある光景はよく観光地で目にします。それが意図的に飾られているものなのか、ただ置いてあるだけなのか、どちらとも判別しがたいなげやりな状態で見かけることが多いなかで、この小屋の車輪は少しちがいます。大胆にも重力に逆らって高々と天空を駆けています。これは小屋の装飾として車輪が空を飛んでいるのか、車輪の保管も兼ねた展示なのか、判断に迷うところです。いや、小屋の用途である保管ということを考えると、車輪も純粋にそのような立場にあるとみるべきなのかもしれません。なにせ雪国は湿気が多いことから、地べたに放置しておくとすぐに腐ってしまうので、風通しのよい空中高くに置いているわけです。それにしてもデザイン的にうまく処理されています。

 

 蜂の巣は、よく見ると網をかぶせてあります。これはもう蜂がいない証拠で、飾りとして残してあるようですが、これも不思議です。なぜ残したのかです。網をかける手間を考えると、いっそのこと除去したほうがよさそうですが、やはりディスプレーなのでしょうか。ひょっとして「蔵の周囲に蜂がいて、近寄ると襲われますよ」と、小屋の警護をこの抜け殻の巣に託しているのでしょうか。それにしてもぶっそうなものを堂々と飾っているものです。また、豪雪地帯では、屋根雪の重みで軒先が破損しやすいことから、補強のつっかえ棒をよく見かけます。いわば物理的な強度アップですが、この小屋のつっかえ棒は、それだけではありません。建物全体を美しく、かつ力強く見せるという、美的な補強もやってのけています。

 

 それと、おやっと思ったのが「火気厳禁」の看板で、ひとが集まるショッピングモールや劇場などで目にするものですが、「こんなものが、なぜ山奥の秘境に」と思ったりもします。ましてや小屋の外壁に貼られているところなど、これまで見たことがありません。しかも「これが目に入らぬか」と、強い調子で掲げられ、ひょっとして小屋の持ち主は、金鳥やオロナミンなどのホーロー看板のようなものがお好きで、自慢げに見せびらかしているのでしょうか。いやいや、どうもこれはマジに貼られているようにみえます。山国は森林火災が多いことから、旅人に「タバコのポイ捨てはやめましょう」と、注意をうながしているとか、あるいは小屋本体を放火などから守るための行動なのか。もしくは、そもそもこれは注意喚起の看板などではなく、お守りとして祀っているのではないか、とも考えられます。というのは、かつて屋根の妻飾りや土蔵の目立つところに「水」「龍」といった文字を描き、火除けのお守りにしていた時代があります。すでに過去のものですが、ここは日本屈指の秘境です。あるいはまだその考えが残っていて、「火気厳禁」の看板をその代用として、小屋に掲げていることも十分にありえます。それにしても意味はまったくのチンプンカンプンですが、黒やブルーの壁と相まって、なかなかおしゃれです。

小屋の旅 034(緑と小屋)

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34.緑と小屋

 魚津に用事があって、片貝川の上流へ行ったときに見つけた小屋です。朝の7時すぎで、天気はそれほどよくはなかったように思います。露を多く含んだ重い空気、夏の盛りなのにひんやりとした冷気が残る時間帯です。手前の水田は、稲穂の出始めのころでしょうか、少し緑の色があせぎみですが、雑草や、ことに背後のスギ林などはたいへんに濃い緑で、そんな一色の緑のなかに建てられた小屋です。

 小屋そのものは、小さくて造りも簡単、外壁や屋根などすべて単色仕上げで、凝ったところはまったくありません。色彩も造形もシンプルで変化に乏しいものですが、全体に余計なものがついていないのと、短い屋根ヒサシとあいまって、雑味のない引き締まった彫像として立っています。とはいえ、どちらかというと、どこにでもある退屈な小屋です。それが張りつめた妖艶さというか、官能的なまでに美しく見えるのはなぜか、と思ったりもします。

 森や自然、エコロジーの象徴といった心地よい緑であっても、こうまで一色の世界に染まると、さすがに辟易します。さわやかさをとおり越して陰気なものを感じないでもありません。そこで、ネットで緑色についてチェックをしてみると、もえぎ色や若草色など、緑系だけでも日本の伝統色には70種以上もあるそうです。それらから連想するイメージもまた様々なもので、“さわやか”や“やすらぎ”といったもの以外にも、“生命力”、“苦しさ“というイメージも緑色にはあるそうです。たしかに、雑草の茂みを草刈り機でひと払いしただけで、そこから無数の虫たちがわっと、一斉に飛び出し、緑にぎっしり命が詰まっているのを実感することがあります。静寂の緑には、命がうようよと駆けめぐり、弱肉強食の世界が渦巻いているのでしょうが、そんななかで超然と立っている小屋です。

 このままずっと静止した時間であってほしいという思いがわいてきたりしますが、そうはうまくいかない予感もします。これがもし、太陽を浴びた昼さがりにこの小屋を目にしていたら、姿はまったくちがったものになっていたはずで、これほどまでに生々しく存在しなかっただろうし、普通にさびれた、眠い小屋ではなかったかと思います。昼下がりのネオン街のようなものですが、それもまた、見てみたい小屋の風景であり、こころがひかれます。それにしても小屋を実際以上に美しく見せているのは、まちがいなく緑の力だと思いますが、人間がもしこのような濃密な緑のなかに立てば、たとえ老婆であっても美女に見えてくるのではないかと、考えたりもします。

小屋の旅 033(金沢の小屋)

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33.金沢の小屋
 金沢の市街地から少し離れた森本駅の近辺で見かけた小屋です。近くに能楽堂を備えた老舗の温泉旅館があったりしますが、金沢は加賀藩時代から能や謡曲が盛んだったそうで、それが今日、一般市民にまで広く受け継がれているとのことです。この小屋風景も、そんな金沢の文化的な影響を受けたのでしょうか、なかなかいい感じです。ただ、写真左の畑を耕しているひとと、右側の小屋とはまったく関係のないあいだがらだと思われます。たまたま偶然にも、小屋の隣りで農作業をしているひとがいたので、いっしょに撮っただけです。

 その農夫のかたですが、白いシャツに黒のズボン、足もとをスパッツでキリッとかためた装いは、“出で立ち”とでも表現したくなるほど小粋で、やる気、意気込みといったものに、“芝居がかった”ものを加味した独特のスタイルで決めています。頭にかぶっている笠は、本来は僧侶などが使う網代笠のようですが、これだけ大きいと作業に支障をきたすのではないかと、これまた心配になるほどで、まじめな滑稽さもあって、どこか不思議な雰囲気をつくりだしています。

 小屋のほうは、母屋から屋根を突き出した“下屋”という構造に大きな特徴があります。野外と屋内の中間領域である下屋には、実利的なメリットが多々あります。雨や露がしのげて風がとおるので、タマネギや大根などの収穫物を干す場として重宝しますし、道具類などをちょっと置くのにも便利です。さらには、屋内でも屋外でもない曖昧な空間なので、空想力や想像力といった雑念、余計なものが入り込む余地があって、きわめて人間くさいところだともいえます。

 一般にこの下屋というのは、母屋があってそこに付け足すもので、母屋の付録的な存在です。ところが写真の小屋の場合、下屋の存在が極端に大きく、おまけに前と横に二つも備え、母屋と下屋のどちらが主で、どちらが従なのかわからないほどです。この本末転倒のちぐはぐさは、縁日の屋台のような楽しさをつくりだし、農園全体の空気をにぎやかなものにしているようです。小屋のオーナーの姿は見あたりませんが、おそらく、豊作であろうと、不作だろうと、そんなことにはいっこうに無頓着なかたのようにみうけます。左に見える網代笠のかたとは、だいぶん性格を異にしているように思われ、おもしろいお隣関係です。案外、この両隣、気があうのではないでしょうか。芝居の舞台を目にしているようでもあります。